制度は進歩します。
たとえば、明治時代、勝手に電気工事をして盗電した者がいました。
被告は、電気は物体ではない、だから無罪だと主張しました。
窃盗は、たとえば、お札や金貨、宝石、骨董などの物を盗むことだったからです。
面白いもので、
証人として呼ばれた東京帝国大学物理学教授・田中舘愛橘が「電気はエーテルの振動現象であり、物質ではない」と証言したために被告に無罪の判決が下されます。ウ〜ン。エーテルはともかく、電子の移動は物質かそうでないか…いわれてみれば、意外と難しいと思います。
その後、大審院では逆転有罪判決が出ました。
重要なのは、その後、刑法に「電気は財物だ」という規定が加わったことです。
今では、デザインやソフトなどに所有の対象は、拡がっています。
しかし、所有の侵害、つまり財産権の侵害についてはどうでしょうか。
世の中が進歩したら、想定していなかった新しい事態が、出てきます。
それに対応できるように、法令やその解釈は、変化しなければいけませんが。所有の対象の財物の定義は変わっていますが、財産権そのものについては、どうでしょう。
この財産権というのは、調べた範囲では、大古から変わっていません。
聖書にもお経にも、「××は、父○○から家畜を受継いで、裕福に暮らしていた」という話が出てきます。××の家に生まれた家畜は、××のもの。その程度です。
泥棒は大古からありましたし、王権による恣意的な略奪、侵略戦争などの反省があり、所有権が絶対視されてきました。しかし、ネブカドネザル大王と金日成も、ビィルダカの挙兵も白村江の戦いもベトナム戦争も、本質的には同じことです。
所有権をどう運用するべきかは、聖書やお経の家畜の話から進歩していません。
時代が変わり、侵略や王の恣意的な命令を排除するだけでは済まなくなっています。
たとえば、株式の第三者割当て。
もっとひどいのは、原発です。
仮に東電が、得た利益から、十万年(でよかったでしょうか)分の核廃棄物管理費を供託するなら、わかります。
もちろん、そんなことは出来っこありませんが。
それをしないで利益だけを取るということは、未来の赤の他人から、金を盗むのも同然の行為です。
■東電が企業版ふるさと納税で2億円、原発建設中断の村に
(朝日新聞デジタル - 03月29日 21:34)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=5559722
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