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2019年04月06日09:28

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イチローさんらしい辞退。

よく、地位や栄誉、金銭について考えます。
これらは果たして、たとえば、文化などを向上させるものであるかと。

「土俵の下に金が埋まっている」といい、がむしゃらに努力した、初代二子山や、文化功労者になって、「芸道が国家公認のものとなってうれしい」という趣旨の言葉を述べる、文楽などのマイナー芸能の立役者を思うと、金銭や名誉があるから努力する、努力が受章という形で、社会に認知され、そのジャンルの振興につながる…ということは、理解できます。

しかし、反作用や副作用もあるのではないでしょうか。

スポーツでは、バースの敬遠(本塁打55本の王貞治の記録を破らせないために、王に忖度したと言われます)が連想されます。

また、他の方も指摘していますが、
夏目漱石の博士号辞退が思われます。

明治四十四年 四月十五日の、東京朝日新聞に、
「博士制度は学問奨励の具として、政府から見れば有効に違いない。けれども一国の学者を挙げて悉(ことごとく)博士たらんがために学問をするというような気風を養成したり、またはそう思われるほどにも極端な傾向を帯びて、学者が行動するのは、国家から見ても弊害の多いのは知れている。余は博士制度を破壊しなければならんとまでは考えない。しかし博士でなければ学者でないように、世間を思わせるほど博士に価値を賦与(ふよ)したならば、学問は少数の博士の専有物となって、僅かな学者的貴族が、学権を掌握(しょうあく)し尽すに至ると共に、選に洩もれたる他は全く一般から閑却されるの結果として、厭(いと)うべき弊害の続出せん事を余は切に憂うるものである。余はこの意味において仏蘭西フランスにアカデミーのある事すらも快よく思っておらぬ。」

という文を寄せています。
博士取得が自己目的になったり、社会的に非博士との落差、差別が起きることを憂いています。

考えてみれば、イチローさんは、総理大臣から顕彰されるまでもなく、十分な名誉があります。
その名誉は、国家の承認が必要なものではありません。

国民栄誉賞は、ノーベル賞や文化勲章と違い、毎年、認定されるものではありません。だから、その時々のタイミングで、時の政権が政治利用するということもあり得ます。「タイムイズマネー」といい、総理大臣の電話を取らなかった、ノーベル賞の大村智さんが思い出されるところです。

■イチローさん「人生の幕下ろした時に」 3度目の辞退
(朝日新聞デジタル - 04月05日 10:30)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=5568585

漱石の危惧は、当たっています。
業績点数稼ぎの論文が、粗製乱造されています。
あるいは、感想文に毛が生えた程度の、研究史を踏まえない著作(事実上の自費出版か?)がありますが、
実は、これほど迷惑なものはありません。

図書館で先行資料を調べるときに、時間の無駄遣いになるからです。

だから、
「大家の論文だけ読む」「一度、内容がないと思った作者はスルーする」「雑誌名に注目し、その雑誌のグレードで判断する」ということが、平気で行われます。

1 先行研究を引注などの形で十分踏まえている 2 誰も言っていない斬新な内容である
この二点を踏まえていなければ、論文執筆や著作をする資格はありません。

また、野球なども、「甲子園」「プロ」などの周囲の大人の期待があり、
その期待に応えるために、素質に欠ける人が青春の伸び盛りに、野球ばっかりやる…という状況は、いかがなものでしょうか。

最近、大学生について危惧しているのは、一部の能力でしかない、toeicのスペック上げが自己目的化していることです。
toeicが上がるのはいいことです。就職などに有利でしょうが、外国人と、たとえば鈴木大拙について、ロールズについて、実りがある議論ができないと、あまり意味がないでしょう。

※ ですから、無償でアイディアを提供し合う、パソコン通信型のネットには、可能性があると思います。「レベルの維持」「フェイクの排除」などの様々な問題があるでしょうが。
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