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2019年03月02日13:02

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オーストリアの町並みと長野県白馬村。日本ジャンプ陣の過去の栄光と現在 長野オリンピック記念館

季節は春を迎えました。3月2日(土)首都圏は晴れ間がのぞいています。今年は暖冬傾向にあり、首都圏の平地で積雪は確認されませんでした。3月も例年になく、気温が高くなりそうです。
首都圏では3月20日過ぎに桜が開花する可能性があります。

 今回、日本から直線距離で9000kmも離れたオーストリアのチロル州ゼーフェルトで行われているノルディック世界選手権2019の開催を記念して、日記を書かせていただきました。

 オーストリアの世界自然遺産ハルシュタットとインスブルク、日本の長野県安曇野郡白馬村の町並み紹介とともに、スキージャンプの選手達の写真を掲載させていただきました。


 オーストリアのチロル州と長野県安曇野郡白馬村は、ノルディックスキーの一競技ジャンプが栄えたことでも共通しています。

 始めにノルディックスキーについて簡単に説明します。

 ノルディックスキーとは、北欧のスカンジナビア半島で発祥した競技です。クロスカントリー、スキー・ジャンプと、その2競技の総合力を競うノルディック複合の3種目を差します。

オリンピックの前後を挟むように2年に1度、奇数年に世界選手権が開催されます。

 今年2019年の開催地は、オーストリアのチロル州ゼーフェルトです。オーストリアでの開催は、1999年のラムソー大会以来、20年ぶりになります。当時の大会では、ジャンプ・ノーマルヒルで、日本人の船木和喜が金メダル、宮平秀治が銀メダル、原田雅彦が銅メダルを獲得し、表彰台を独占しました。なお同大会に出場した今も現役の46歳になった葛西紀明は5位でした。

 あれから20年の歳月が流れました。これまで男子のみの競技だったスキー・ジャンプは、女子の大会も開催されるようになりました。競技を始める人も年々増加傾向にあります。世界選手権では2009年のリベレツ(チェコ)大会で初開催が実現しました。オリンピックでは、2014年のソチ(ロシア)大会で正式種目として初開催される運びとなりました。現在日本の女子ジャンプ陣は、22歳の高梨沙羅が世界のトップを走り続けています。Wカップの通算勝利数は、男女最多となる58まで伸ばしました。今シーズンは、いまひとつ調子が上がらないものの、次の2022年北京五輪を見据え、戦いに挑んでいます。



 2019年シーズン、日本の男子ジャンプ陣を引っ張るのは、22歳の小林兄弟の弟小林陵侑です。欧州各ジャンプ台を転戦するWカップでは、11勝を上げて、総合ランキングでトップに立っています。Wカップ内に含まれる年末年始恒例のオーストリアとドイツのジャンプ台で行うジャンプ週間では、4戦全勝を果たし、総合優勝を達成したのです。日本人がジャンプ週間の王者に輝いたのは、1998年の船木和喜以来、21年ぶりになります。

 今世界選手権・ゼーフェルト大会では、先に行われた個人ラージヒルで4位の成績を残しました。なおラージヒルの競技は、近隣の1972年と1984年にオリンピックが開かれたインスブルクのジャンプ台を使っています。ラージヒル団体で日本はドイツと地元オーストリアに次ぐ、銅メダルを獲得しました。

 迎えた3月1日(金)のゼーフェルトのジャンプ台で開催された個人ノーマルヒルで、1回目を終えてトップに立ちました。1999年のラムソー大会の船木以来、日本人として20年ぶりの金メダルが見えてきたものの、2回目に雪による助走スピードの低下と視界不良に伴い、本来のジャンプが出来ませんでした。最終順位は14位です。1回目に上位につけた選手が軒並み2回目飛行距離を伸ばせませんでした。結果、1回目25位にとどまったポーランドのクバツキが、大逆転優勝を果たしたのです。

 写真は、1回目のジャンプを終えた直後の小林陵侑です。
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 2月21日から行われた大会も、残すところあと2日です。最後まで大会を見守っていきたいと思います。

 こちらの写真は、2月28日(木)に行われたノルディック複合の個人ノーマルヒルのフラワーセレモニーの模様です。写真右に写った渡部兄弟の兄、渡部善斗が銅メダルを獲得しました。
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 表彰台の中央に立つのは金メダルをとったノルウェーのリーベル、表彰台の左には銀メダルのオーストリアのグルーバーです。銅メダルの渡部善斗は表彰台の右に立ちました。

 さて今回は、ノルディックスキー世界選手権を記念して、同じオーストリアのオーバーエスターライヒ州にある世界遺産のハルシュタット湖やチロル州インスブルクの町並みを紹介させていただきます。

 比較対象の街として、同じく山間に囲まれた長野県安曇野郡白馬村と、村内のジャンプ台の中にあるオリンピック記念館の展示物の写真を掲載しました。再度よろしくお願いします。

 見本となる写真を紹介します。

 写真左 オーストリアのインスブルクのジャンプ台から見た景色 BS-TBS 地球絶景紀行より

写真真ん中 長野県白馬村ジャンプ台からの眺め 私自身が撮影

 写真右    葛西紀明選手

 ハルシュタット湖とインスブルックの写真は、テレビ画像を携帯で写し取りました。外部リンクの綺麗な写真とともにご覧になってくれると幸いです。

BS-TBS 地球絶景紀行 2017年10月18日OA ♯368 緑と水の楽園巡りより
https://www.bs-tbs.co.jp/zekkei/detail368.html

 オーバーエスターライヒ州ハルシュタットは、湖畔沿いに広がる人口800人の小さな町です。針葉樹の山々に囲まれた湖の辺に、レンガ造りの低い建物が並んでいます。山と湖と森が織り成す風光明媚な景勝地は、1997年に世界文化遺産に登録されました。ハルシュタット湖を走る遊覧船に乗り、町を一巡りすることもできます。

 町には7000年前の塩の採掘坑が残っています。
 
 外部リンクの美しい写真とともにご覧になって下さい。
TABIPPO.NEThttps://tabippo.net/hallstatt/

TABIZINE https://tabizine.jp/2013/11/20/2340/

ハルシュタット湖に浮かぶ小型船から見た景色です。
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 湖畔沿いの町並みです。山肌を覆う針葉樹が迫ってきています。
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 湖畔沿いのボートから見た夜の町並みです。
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 山々に囲まれた街は、人々があくせくと行き交う都市部よりも、時間がゆったりと流れています。改めて自然の大きさを感じられました。

 続いては、1964年と1976年の冬季オリンピックが行われたインスブルックです。標高は574m、2度のオリンピックで使用されたベルクイーゼルジャンプ台からの景色をご覧になって下さい。なおジャンプ台は2001年に大規模改修工事を行い、再オープンしたそうです。

外部リンク wonder trip https://wondertrip.jp/europe/87824.html

外部リンク https://www.austria.info/jp/%E6%97%85%E3%81%AB%E5%BD%B9%E7%AB%8B%E3%81%A4%E6%83%85%E5%A0%B1%EF%BC%86%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6/%E7%89%B9%E5%88%A5%E3%81%AA%E3%81%8A%E5%8B%A7%E3%82%81/%E3%83%99%E3%83%AB%E3%82%AF%E3%82%A4%E3%83%BC%E3%82%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%97%E5%8F%B0

 なお今2019年の世界選手権・ゼーフェルト大会のラージヒル競技でも使用されました。

ジャンプ台の麓 観光客は、ジャンプ競技者と同じく、リフトであがっていきます。
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 標高749mにあるジャンプ台からの景色です。眼下にインスブルクの町並みが広がっています。
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 高い場所に上り、風を受けると、大空を舞う鳥になった気分を味わえるでしょう。体一つで滑り降りるジャンパーは、まさに急降下して獲物を襲う猛禽類のようです。

目線の高さには、白い雪をかぶったアルプスの峰々が連なります。首都圏の平地で暮らしている我々は、いかに小さな存在なのか、考えさせてくれます。

 さて次の舞台は、長野県安曇野郡白馬村です。標高は700m代です。私自身が2015年8月29日(土)と30日(日)にジャンプ競技の観戦のために訪れました。

 98年の長野オリンピックの舞台になった白馬村のジャンプ台は、毎年夏場にサマーグランプリ国際大会が開催されています。

 選手達は冬場と同じくスキー板を履き、アプローチを滑り、ブルーシートで覆われた芝に着地をするのです。

 雪がない分、着地は安定するでしょう。冬場に比べて、転倒のリスクは低いと思います。

外からみたジャンプ台です。小さめのノーマルヒルの台と大き目のラージヒルの台が並んでいます。
 
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 29日(土)の午前中の競技前、ジャンプ台の中にある長野オリンピック記念館を訪れました。競技者と同じく、観光客もリフトに乗って上がって行くのです。
 
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 競技者が控えるアプローチ台から見た景色です。あいにくこの日は雨交じりのすっきりしない天気でした。白馬村も、オーストリアのチロル州を髣髴とさせる山間の街です。インスブルクよりも人口が少なく、建物が疎らです。観光客は、主にペンションで宿泊します。
 
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 オリンピック記念館で撮影した写真を公開していきます。

こちら98年のオリンピック ジャンプ団体の金メダルメンバーの写真です。
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 個人ラージヒルでも金メダルをとった船木です。当時22歳の彼は、日本ジャンプ陣の快進撃を引っ張る存在でした。
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 施設内のブースです。
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展示された銅メダルです。
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 長野オリンピックから21年の歳月が流れました。当時の日本ジャンプ陣に勇気付けられた方も多かったでしょう。東京育ちの私は、スキーを習う環境にはありませんでした。彼らジャンプ陣に励まされ、スポーツをすることの大切さや喜びを感じるようになりました。

 最後に、8月29日(土)の夜間と30日(日)の午前中に行われたサマージャンプの競技を写真で簡単に振り返ります。

 29日のナイタージャンプで撮影した写真です。

オリンピックでは、2006年トリノ大会から2018年ピョンチャン大会まで4大会連続出場している33歳の伊東大貴です。彼自信、小学校6年生のとき、長野オリンピックの団体競技の模様をここ白馬ジャンプ台から観戦していたそうです。競技者としては、2014年ソチオリンピックで団体銅メダルの獲得に貢献しました。世界選手権では、2007年の札幌大会、2009年のリベレツ(チェコ)大会、今2019年のゼーフェルト(オーストリア)大会で銅メダルをとっています。
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 午前中に行われた30日に撮影した写真になります。

46歳の葛西紀明です。世界選手権は1989年のラハティ(フィンランド)大会から出場しています。成績不振により、2019年ゼーフェルト大会のメンバーから外れてしまいました。オリンピックには、1992年のアルベールビル(フランス)大会から2018年のピョンチャン(韓国)大会まで8大会連続8度も出場しています。オリンピックの個人戦では、2014年のソチ大会のラージヒルで銀メダルを獲得しました。来年以降も、現役を続ける意志を示しています。
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 こちらは、世界のジャンパーで最もオリンピックの個人戦の金メダル数が多いシモン・アマン(スイス)です。オリンピックには、16歳で迎えた98年の長野大会から2018年のピョンチャン大会まで6大会連続6大会出場しています。02年のソルトレーク(アメリカ)大会と2010年のバンクーバー(カナダ)大会では、個人戦のノーマルヒルとラージヒルで共に2つずつ金メダルをとりました。オリンピックの合計金メダル数は4つです。世界選手権では2007年の札幌大会のラージヒルで金メダルを獲得しています。現在37歳のアマンも、46歳の葛西と同じく、レジェント的な存在です。
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 2015年8月29日(土)と30日(日)のサマージャンプ大会で最も活躍したのは、日本の作山憲斗選手でした。

1990年産まれの彼は当時25歳になります。夜間に行われた29日の競技では2位、続く午前中に開かれた30日の競技では優勝を果たしたのです。

 なお欧州やアジアを転戦した2015年の夏の国際サマーグランプリで、彼は総合優勝を果たしました。

 写真の右に写ったインタビューを受けている選手が作山です。左側にいるのは30日の競技で3位だった竹内です。
 
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 優勝した作山は、カメラの前でガッツポーズを決めてくれました。彼は2015年シーズンの夏場活躍したものの、本番となる冬場はいまひとつ結果を残せずにいます。再び表彰台に立つ姿を見てみたいものです。

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 こちら30日の競技で3位になった竹内択です。オリンピックには、2010年のバンクーバー大会から2018年ピョンチャン大会まで3大会連続出場を果たしています。2014年のソチ大会の団体戦では銅メダルをとっています。
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 今2019年シーズンは、成績不振に伴い、Wカップの転戦メンバー6人からも外れました。

 彼の復調に期待します。


 今日記では、オーストリアのハルシュタットの町並みとインスブルクと長野県白馬のジャンプ台を紹介させていただくとともに、日本ジャンプ陣の過去の栄光を振り返りました。

 長野オリンピックから21年、現在22歳の小林陵侑の活躍により、日本ジャンプ陣は息を吹き返しつつあります。小林陵侑を支えるのは、長野オリンピックを知る46歳の葛西紀明です。彼は地元で開催されたオリンピックで、個人ノーマルヒルで5位入賞の成績を残しながら、個人ラージヒルと団体戦は足首を痛めたことにより、メンバー選考から漏れた過去があります。

葛西は、今もなお現役生活を続けながら、小林陵侑の指導に当たっているのです。昨2018年2月に行われたピョンチャンオリンピックでは、日本ジャンプ陣で4番手の存在でした。

 そして今2019年、大躍進を遂げ、21年前の船木和義が達成できなかったWカップ年間王者に向けて、あと1歩のところまできています。Wカップ年間王者に輝けば、日本人として初の快挙です。

 ノルディック世界選手権のジャンプ競技は、残すところ、男女2名ずつ、4人の合計ポイントで争う混合団体のみになりました。競技の舞台は、ゼーフェルトにあるノーマルヒルのジャンプ台です。
 
 日本のジャンプ陣は、混合団体が始めて開催された2013年ヴァルディンフィエメ(イタリア)大会では、金メダルを獲得しています。

 日本ジャンプ陣は最後に花を添えることができるでしょうか。これからも応援していこうと思います。


















小林陵侑まさかの14位、1回目トップから大失速
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=8&from=diary&id=5520260
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