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2018年12月21日13:06

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有馬記念の思い出・1

有馬記念の思い出・1

年末になると競馬で、有馬記念というレースがいつも話題になります。現在、私は全く競馬はやりませんが、若い頃強烈な思い出があって、毎年今頃になると思い出します。

1973年、滑り止めで東京の三流大学にやっと入った私は、生まれて初めての水商売のバイトを始めました。水商売といっても、今で言う居酒屋みたいなもの。場所は、東京のシンボル新宿。田舎者の私には、まばゆい大都会の真ん中にいました。

バイト先の店の名前は「北斗星」。いまはもうありません。目の前に新宿昭和館という映画館がありました。ヤクザ映画をいつも上映していて、付近はガラが悪く、近くの並木橋には競馬の場外馬券場がありました。確か、階段を上がった2階にその店はあり、山の写真が階段に飾られていたように記憶しています。「北斗星」という店の名前がイメージするように、登山を好む人達が集まっていたのかもしれませんが、普段は、普通のサラリーマン達が多かったような印象がありました。

私は、水場で皿洗いのバイトを始めました。ホールには、白い割烹着を着た女性達が、忙しそうにカウンターに注文を持って来たり、出来上がった料理を運んだり、食べ終わったお皿を洗い場に持って来たりと、活気のあるお店でした。そういったホールで働く女性達との会話も楽しかった。そして私は、若かった(笑) その時初めて、鯵の活き作りというものを見ました。身を削られた鯵が、頭としっぽを串刺しにされて皿にもられていました。まだ生きている時は、ピクピク動いていました。洗い場にその皿が戻って来たら、私は素早く串を外して、鯵を板場の方に渡しました。つまり、使い回しするんです(笑) そんなお店なので、安くておいしい物を出すリーズナブルなお店でした。

私は、貧しかった。時給200円ぐらいだったと思います。立ち食い蕎麦180円?文芸座の映画180円?そんな感じだったかな。

そして、その年の12月末。有馬記念の季節。その年はあの有名なハイセイコーが抜群の成績を残していて、当然この年の有馬記念も6枠のハイセイコーが、1番人気でした。田舎から出てきた私は、マージャン以外賭け事をやった事がなく、いや、嘘をつきました。地元の競艇「唐津ボート」に高校生の時、1回だけ行った事があります(笑)

バイト仲間で、今でも忘れられない人がいます。上智大学哲学科6年在学中というAさんが私に声をかけてきて、

Aさん「吉川クン、明日から、僕は車で出勤するよ!」
私「はぁ?何バカ言ってるんですかぁ(笑)」
Aさん「明日の有馬記念、吉川クン、馬券買いませんか?みんなまとめて場外馬券場で買いますよ。ホールの女性達も板前さん達もみんな買いますよ」
私「えー、どうしようかなぁ、でも、オレ金ないんでやめておきます」
Aさん「そー、残念だね。私は、1点買い。万馬券をねらいます。当たったらすごいよ。だから、当たったら、私は明日から車で出勤します(笑)」
私「そんな(笑)」

丸いメガネをかけた、ちょっと太目で人のよさそうなAさんは、いたずらっ子のような、かわいい笑顔をしてボクを見ました。
当時、場外馬券場で買えるのは千円の馬券だけでした。時給が200円ぐらいの私にとって千円は、1万円ぐらいの価値感がありました。貧乏な私にはとても手が出ませんでした。

そして、翌日の有馬記念は、今でもその記録は破られない、ハイセイコーが3着となる歴史上の大万馬券となったのです。<続く>



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