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2018年11月23日09:13

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スポーツバイクという運動と趣味を楽しむ!

■スポーツバイクという運動と趣味を楽しむ!

たまたたまスポーツバイクを始めるときにランドナーでのツーリングからでした。日本サイクリング協会員でないと電車内にバイクを分解して袋に入れた自転車を持ち込めなかった時代なので、しかたなくJCAに埼玉登録して入会して輪行サイクリングをけっこうしていました。

ロードレーサーというイメージとかピストレーサーというのは全く描いていませんでした。時代によってスタンダードは変わるもので、700・23〜28Cホイールのロードバイクが、今では普通にレースからツーリングまで使われています。

高校生の頃、日本のスポーツバイクのイメージは、フランス風の4つのキャリヤが付き、大きなバッグを取り付け、650の42Bというキャンピングでのロングツーリングや、ランドナーでのツーリングでした。ロードレーサーもいましたが泥除けなしのバイクは僕の頭の中では別ジャンルという感じでした。

でも、ランドナーでオフロードの林道を探して走るのを止めて、1日の走行距離を150kmとか200kmと距離を伸ばしたり、オンロード中心に走るようになって、42Bからすぐに35Bになって、2年目にして700・23Cのチューブラータイヤホイールのオーダーのスポルティーフで走るようになりました。

泥除け付きのスポルティーフで走っていると、走るのに必要がない泥除けを外し、大きなバッグも外しで、身軽になったバイクはロードレーサーそのものになりました。装着するタイヤを変えてオンオフどこでも走りました。寸法が詰まったロードレーサーはドロドロの泥道は苦手でしたが、晴れていればどこでも軽快に走れました。

当時のロードバイクで不満だったのは強力なブレーキがなかったことでした。マファックのコンペティション、トップ63、カンパニョーロのレコードが利く方でしたが、富士山のパープルラインとか、和田峠から塩山へ向かってのダウンヒルなどでストッピングパワー不足を感じたものです。

初めて手に入れたスポーツバイクから自分でスポークから組み上げたのも自転車という趣味にはまった理由の1つです。教えてくれた同級生の高校の机の中はニューサイクリングのバックナンバーが何冊も詰まっていて、授業中によく読ませてもらっていました。

フレームをOEMしたオーダーブランドや、工房を持つメーカーが日本にもいっぱいあって、フレームビルダーによるフレーム作りがどこか神格化されていました。スポーツバイク専門店が全国にあることを知りました。記事や広告を見るとフランスのルネルスのコピーバイクがそこら中で作られていました。

本家ルネルスより手先の器用な日本人職人が作るのですから、内臓工作や直付け台座など、泥除けの隠し止め、パイプキャリヤとか、綺麗な工作が施されていますが、それはあなたのオリジナルじゃないでしょ、という日本の工房生まれのフランス車たちをかなり批判的な目で見ていました。

そこえ行くと、まだブランドを立ち上げて数年という、ウーゴが火を入れていたデローザや、マリオが火を入れていたロッシンや、プロデュース能力の優れたエルネストが率いるコルナゴが、ツールなどのシリアスなレースで、有名ライダーが乗ってリアルに走るのを見て、宝石のような輝きを放っていました。

日本では1964年の東京オリンピックで本格上陸して、完成度の高さから日本のロードバイクにとって黒船的な存在になった、イタリアの老舗のチネリより新鮮な新しいイタリアンロードって感じでした。日本だとロッシンやジャン二モッタで修行して帰国したばかりのキヨ宮沢のフレームが好きだったな〜。

スポーツバイクが単なる移動手段にならなかったのは、自分で最初のバイクを組み上げたこと、刺激的な旬のイタリアンバイクたちや作り手のパッションと出会ったこと。そのせいでしょう。まさか自分が26歳にしてピストレースにのめり込むとも思っていなかったけど。

もうあんなトレーニングも、苦しい走りもできないけど、自分の走りにあったフレームやホイールやパーツを手に入れて、自分で組み上げて乗るのは楽しいですね。この部分はまるで高校時代と同じです。ただ、最新のバイクはオーバースペック気味で、しなやかな乗り味にする工夫が必要なのがちょっと悲しいかな。

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