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2018年11月02日05:52

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エンジン2基のGPカー(0139 ALFA ROMEO 16C BIMOTORE)

歯科医院を営んでいる年配の知人が愛用していたアルファロメオ6Cを売却した、というニュースが飛び込んできました。そこで、戦前のアルファロメオを端的にまとめた(つもりの)本稿0088〜0092を思わず読み返し、ふとビモトーレ(Bimotore)のことを思い出しました。

1935年のフォーミュラ・リブレ(車輌規定なし)の優勝争いは、実質アルファロメオ対ドイツ勢でした。アルファロメオはP3(本稿0092参照)を擁していましたが、移籍していたマセラティから戻ってきたTazio Nuvolari(タツィオ・ヌヴォラーリ)でも、銀色に塗られ"Silver Arrow(銀の矢)"と恐れられたドイツの傑出したレーシングカー群には歯が立ちませんでした。

そのドイツのレーシングカーのうち、メルセデス・ベンツはRudolf Caracciola(ルドルフ・カラチオラ)やLuigi Fagioli(ルイジ・ファジオリ)等が操るメルセデス・ベンツW25Bで、フロントにスーパーチャージャー付き直列8気筒3990cc435馬力エンジンを搭載した滅法速いマシンでした。
またアウトユニオンは、Hans Stuck(ハンス・スタック)、Achille Varzi(アキール・ヴァルツィ)、Bernd Rosemeyer(ベルンド・ローズマイヤー)等が駆るタイプBで、スーパーチャージャー付きV型16気筒4954ccエンジンの出力は375馬力と、前出のメルセデス・ベンツW25Bの435馬力より劣りましたが、重いエンジンをミドシップに搭載したこのマシンは極めてハンドリングが良く、メルセデス・ベンツと互角の走りを見せました。

アルファロメオP3ではドイツ勢に太刀打ちできないのは火を見るより明らかなので、スクーデリア・フェラーリはエンジニアのLuigi Bazzi(ルイジ・バッツィ)がビモトーレなる極めて風変わりなGPカーを開発しました。
なおスクーデリア・フェラーリとは、財政難になったアルファロメオの経費を抑えるためにEnzo Ferrari(エンツォ・フェラーリ)がレース部門を1929年にセミ・ワークス・チームとして分離独立させた組織です(フェラーリ自身はレースから引退しマネージメントに専念しています)。

さて、ルイジ・バッツィが開発したビモトーレとは名前の通りエンジンを2基搭載したGPカーです(Bimotore=Bi Motor)。一応アルファロメオ車とされていますが、厳密に言えば(初の)フェラーリ車と言えます。跳馬のマークを初めて使用したクルマなんです。2台作られ両方とも残っています(イタリアとイギリス)。
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ビモトーレは、ホイールベース2880mmの車体のフロントとミドシップにそれぞれ直列8気筒3165ccエンジン(スーパーチャージャー付)を搭載していました。合わせて540馬力を発揮する2基の8気筒(合計16気筒=16C)エンジンの出力は、3速ギヤボックスを介して2基のエンジンの間から取り出していました。1935年6月16日に最高速度218.4mph(約364 km/h)を記録しています。
なお技術が日進月歩だったこの頃は、2年後の1937年10月にアウトユニオンが267.14mph(約429.92 km/h)を出していますが、1935年はビモトーレが最速だったことでしょう。

しかし過大な車重のため燃費が悪く、タイヤにも大きな負担がかかるため、失敗作だったと言われています。
事実、1935年5月5日のトリノGP(ビモトーレのデビュー戦)では、タイヤの消耗を心配したヌヴォラーリはレース直前にP3に変更していますし、同年5月12日のトリポリGP(ストレートが長くビモトーレに適していると思われました)でヌヴォラーリが4位に入ったのがこのマシンの最良の戦績です。

戦績はともかく、エンジンを2基搭載した大排気量のGPカーというのは、フォーミュラ・リブレ用とはいえあまりに奇抜ですね。小さなクルマはアリだと思いますけど。本稿0087でGN ARIELというエンジン2基のクルマを紹介しましたが、それはヒルクライム用の小さなクルマでした。他にもエンジン2基の小さなクルマはありますので次週に紹介しましょう。ベースは全長3050mmの小さな大衆車で、誰でも知っています。
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