mixiユーザー(id:20452152)

2018年07月22日18:09

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偽善者になり,売名行為をしよう

 日本は自然災害の多発する国です。今次の西日本豪雨もそうですし,僕自身も東日本大震災では被災してしまいました。そうした国に住む我々は災害等の発生時におけるボランティアや寄付の有り難さを深く認識するというのが道理でしょう。

 ところが実際のボランティアや寄付を,特に有名人が自分の名前を出して行う場合に,やれ偽善だの売名だのという声が上がる傾向があるようです。
 たしかにボランティアや物資寄付というのは現地のニーズや情勢を判断したうえで行わないと現地の助けにならなかったり,酷い場合には復興の妨げになったりということもあるようですから,活動を行う際には事前によく調べてから行うべしということは間違いありません。「その活動は現地の為にならない」といったことにならないための注意は必要です。
 しかし,そういった問題が殆ど起こり得ない募金活動や,またボランティアや物資寄付であっても現地に間違い無く有益な活動について,取り組んだ人の意図に注目して偽善や売名と評価することに意味があるでしょうか。たとえば内申書の評価を上げたい中学生や高校生,自分の名声を上げたい有名人,また「慈善活動に取り組んだ自分は善人である」という気持ちになりたい人が行ったボランティアや募金等の活動に否定的な評価を与える道理はあるでしょうか。
 ボランティアや支援を被災地や被災者にとって支援活動や金品が復興の役に立つ以上,無いよりあったほうが幸せなのは間違いありません。ではもう一方でボランティアや募金等を行った人はどうか。内申書の評価が上がり,或いは名声を獲得でき,また良い気分になることで支援者の側も幸せになれるわけです。何かに取り組んで相手も自分も幸せになれるとは理想の状況であり,否定すべき道理はどこにもありません。

 人間には「得をしたい」「名声を得たい」「自らが善人であるという自己認識に酔いたい」という欲望があり,困っている人を助けようと感じている際にもそうした欲望が付随しているということは往々にしてあるものです。それを偽善だの売名だのと言えばそうなのかもしれません。しかし,偽善や売名だとその善行は役に立たないのでしょうか。他人に迷惑を掛けず,それどころか他人の役に立つ活動を通じて自らの欲望を満たして何が悪いのか。むしろ他人も自分も幸せになれるのなら最高ではないでしょうか。
 僕はこれからどんどん偽善者になって売名行為を行ってやろうと思っています。そしてこれをお読みの皆様にも偽善の振る舞いに終始して売名することを強くお薦めしたいと思っています。大いに自らの欲望を満たしながら他の人々まで幸せになってしまうのですから,やらないなどという選択肢は有り得ませんね。
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