[あらすじ] 母85歳PD、2ヶ月程の予定でリハビリ施設に入所して5週間。
週に一度の面会に行った。
椅子から自力で立ち上がることが難しくなっている。
立ち上がり方を一緒におさらいして、30分近くかかって、やっと立ち上がることができた。
一見して、衣服越しでも分かるくらい、脚が痩せている。
朝、ベッドの上でいつものように体操すると、センサーが反応して職員さんが飛んで来て、
まだ早いからと体操を止められる。
他の時間も、他の理由で止められると言う。
立ち上がりの際は、ズボンの腰のところを職員さんがつかんで、引き上げて介助する。
リハビリは週に5日、1日に1時間程度。
その中に立ち上がりの動作も有る。が、
つまり施設にいる中で積極的に動きやすいのはこの1時間の中だけということになるのか。
※
[あらすじ] 水漏れを修繕した地下室の壁に、珪藻土を塗った。
友人Fから「珪藻土はカビの温床になるよ!」とメッセージが飛んで来た。
ひー。
逆説的リハビリ施設の面会から帰宅したら、こんな情報に出迎えられるとは。
「カビと戦うのは不毛。埋め戻しちゃえ」
先週の壁塗りと言い、2年前の修繕と言い、ものすごい今更という感じで、
力が抜ける。どうする。
「できることなら放置。封印。」
できる。今までそうして来たわけだし。
「本は捨てると無くなっちゃうから、欲しい人がいれば、価値の分かる人に見てもらえば。」
言われることはどれもとっくに検討しているのだが、
なんせ、母の目の黒いうちは手離そうとしない。
でもそれで生きている私が生きづらくなっているのが事実。
私は、自分がやりたいことをやれれば、実は本が無くなってしまって惜しいことも
「惜しい」くらいの気持ちで済む。
たくさんの美術書や写真集がカビて、捨てた。
古本とか言うレベルでなくカビていたのだ。
惜しんでもいられない。
選別する手間と精神力がもったいないので、じゃんじゃん捨てる。
自分らしい時間の使い方をするためには、さっさと片付けることだ。
という思いと、
要らんもんは封印して、自分らしい時間の使い方をしてりゃいい。
という思いと、
まだサッパリはしない。
早く埋めてしまいたい。というのが正直なところだ。
修繕費用も壁塗りの手間も、惜しくない。
実際、歌う気になれない日々が続いている。
常に何かの作業が控えていて次の事をやらねばという焦りのような気持が有り、
シゴトに集中できない。
ついつい何か掃除や片付けをして、気分的にも身体的にも疲れてしまう。
発声練習を数十分やる余地が残っていれば良いほうで、
楽器に触る元気が無い。
うへー、私らしくないのだ。
やめようやめよう。
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