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2018年02月24日10:07

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松井忠三さんの人生

松井忠三(ただみつ)さんは良品計画元会長である。現在日経新聞の名物記事「私の履歴書」に彼の人生履歴書の連載が掲載されている。
これが非常に面白い。まるで劇画のような波乱万丈の人生である。

学生時代は、学生運動にのめりこみ、逮捕も経験したため、採用してくれる会社がなかなかみつからなかったが、当時元学生運動家が幹部にいた西友ストアーに拾ってもらったという。西友ストアーで浮いた存在だった彼は、良品計画に片道切符の転籍となる。
良品計画といえば、無印良品を生んだ会社で当時「訳あって安い」という、訴求ポイントがわかりやすいキャッチコピーで有名な会社だった。
簡素・質素だが良質な商品を訴求する会社は他に見当たらない、いわゆるニッチトップの商品のため、競合会社も他になく、商売もうまく回っているのだろうと想像していたが、実は内情は火の車だったようである。

当時の無印良品は実際は「安かろう悪かろう」の商材が多く、あまり売れなかったそうである。特に衣料品は不良在庫を38億円分も抱えてしまい、自社の商材の売れ行きに悪影響を及ぼすから、たたき売りもできず、量が多すぎて発展途上国にも寄付できず、やむなく焼却処分したそうである。有形商材を売るビジネスはこのような不幸もあるのかと思い知った。

無印良品の自転車の不具合が原因で少女に大けがをさせてしまったケースもあったとのこと。そのときに営業本部長としてその少女の家庭を何度も謝罪訪問し、治療方針を話し合ったのが松井さんだったとのこと。その縁がきっかけでその少女は却って良品計画という会社のファンになり、成人して良品計画の株主になった。良品計画の社長になった松井さんは、担当した最初の、荒れる株主総会で偶然その成人した少女を見つけた。松井さんはそのことで、経営者としてこの会社を経営していく腹をくくったという。小説のような感動的な話である。

松井さんが社長になる前の当時の良品計画は社風が悪く、特に本社では官僚主義がはびこっていた。本社と現場の意識もかい離していた。そこで彼は会社が嫌になって、会社の現状を会長に建白して辞表を会長に提出する。それで会社を首になるかと思ったら、なんと会長から社長に選ばれてしまったという。びっくりする話である。
社長になって、彼はまず社風を変える改革に取り組む。

それ以外にも彼は「負けて勝つ」という言葉で、経営の考え方を現場に浸透させていく極意を語っている。考え方の違う相手の言葉を頭ごなしに否定するのではなく、受け入れながら、うまく自分の考え方に導いていく手法である。今の言葉でいえばファシリテーションだろう。たいへん参考になる。

彼のような波乱万丈の人生を送っている人の話を聞くと、自分の日々の悩みがいかに小さなことかが身に染みる。
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