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2018年01月21日20:45

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貴様と俺と小室哲也

小室哲也の不倫と引退がネットで大きな話題となっているのを見て、
いろいろ考えることがあった。

小室の不倫と引退は、個人的にはどうでもいい。
ただ、ネットでのコメントで
彼を賞賛する声、惜しむ声が異常に多いのは驚いた。
「天才」「○○は名曲」「歴史に残る」等々。

彼が天才だとか、歴史に残る、というのは
それは音楽業界の価値観だろう。

彼の音楽に何か価値があるのだろうか?
「Sometime ago〜Fiesta」とか
「Heart of the sunrise」とか
「A day in the life」に、小室の音楽が太刀打ちできるだろうか?

「CAN YOU CELEBRATE?」(1997年)。甘ったるい、もうベタベタ。
カルピス原液を飲みながらチョコフラッペを食ってるみたいだ。
小室のファンは、音楽業界の価値観に洗脳されているのだろう。

ネットのコメントを見て、本多勝一の文庫エッセイ
「しゃがむ姿勢はカッコ悪いか」のなかの一文を思い出した。

「『同期の桜』(「貴様と俺は〜」、1938年)という軍歌を聞いたとき、
懐かしさと同時に、怒りがこみ上げてきた。
自分が幼少の頃、この国には、この程度の音楽しかなかったのか」

「同期の桜」から60年近く経っても、この国では
「CAN YOU CELEBRATE?」程度の音楽しかなかったのか。
そしてそれは、現在でも変わっていないのか。

この国の音楽のあり方は、そのまま
この国のあり方に翻弄されていうように思える。
「同期の桜」は軍国主義、「CAN YOU CELEBRATE?」は資本主義。

政治や経済が、人の精神世界を支配する。
「同期の桜」を歌って散った特攻隊も哀れだが
「クレージーゴナクレージー」を歌って本当にクレージーになるのも
それに劣らず哀れだ。

ちょうどこれを書いている時、西部邁の自殺が報じられた。
1億総白痴化が完遂された21世紀において
1学者の存在の虚しさに絶望されたに違いない。

ご冥福をお祈りします。

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