軽々しく語れないのである。それは何も二部作の前編だからということではない。寺山修司に関して無知に近い。原作は原作映画は映画だがどうやら別個のものだと割り切って語ってはいけない気がする。私がということではない。他の誰であってもである。だからといって私は原作を読むとは限らない。原作を読まねば語れない映画などあってはならないのだ。
だから原作にもあるらしいこの台詞に予言めいたものを感じてはいけないのである。
「人類が最後にかかる、一番重い病気は『希望』という病気である」
しかし、歴史の符合とは恐ろしいものだ。
(衆議院選挙投票以前に執筆)
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