存在自体が否定されていると感じている矛盾を問う。
存在自体の否定とすると、それ以上が無い否定の筈なのだから、それ以上何を怖がり疎む事は無い。
自分自身で怖がり疎む、そんな自分すら存在自体が否定されている筈なのだから。
まだまだ怖いものがあるなら、まだまだそれ以上があると言う事であり、どうせ忌み嫌われ拒絶されているのなら、自分からも拒絶される事を初めて意識的にやってみたらどうだ。
こいつ面白い、と思ってくれる者が現れるかもしれない。
そもそも、何もしないで存在を肯定させている者等、微昆動植人どれを取っても、それこそ存在しない。
可愛いと思わている者は可愛いと思われ様としているし、強く思われたい者は強くなろうとし、時には弱くとも強がっている。
自殺しても忘れられるのが落ちだ。
心底そんなの嫌だから自殺で主張する程なのだから、その前に死んでしまう程の事をしてみれば良いじゃないか。
どうせ存在自体否定されているのだから何したって変わらない。
もし変わるのならそれは始めから存在を認められていたと言う事だ。
ちなみに、これは誰かに認めてもらおうとしてやる事ではない。
他人がどうこうじゃない。
自分を否定しているのは自分だ。
そんな自分を変えるためだ。
■子どもの自殺ピーク“魔の9月1日” 「もう死にます」 どうして小6女児は死を望んだのか
(AERA dot. - 08月22日 07:02)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=173&from=diary&id=4727554
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