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2017年08月13日11:50

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Edward FitzgGerald

Edward FitzGerald (31 March 1809 – 14 June 1883)

Edward Fitzgeraldと聞くと、英国生まれで、
ウマル・ハイヤートの『ルバイヤート』や『千夜一夜物語』の
翻訳家を多くの人は思い出すだろう。


バートランド・ラッセルを知る人なら、ラッセルが大学入学準備に
行った予備校で出会った青年を想い出すだろう。

Edward Arthur FitzGerald, 1871-1931

ラッセルに依れば、Edward Fitzgeraldは、予備校で唯一精神を
気遣う青年だった。他の学生たちは猥談やを好み、売春婦に
関心があり、詩や文学を語る雰囲気を持ち合わせていなかった。
ラッセルはEdwardも数学を専攻することもあり、何より教養もある
ので、惹かれた。
ラッセルは、待ち伏せして偶然に出遇ったかのように装い、
エドワードの家に遊びに行った。
母親は米国人、父親はカナダ人だった。一家は裕福だった。
そこで会った姉のCarolineにラッセルは一目惚れ。
姉は、また詩を書く女性だった。
エドワードとの友情は更に深まった。
さらに、気難しい祖母もエドワードの家を訪問することを許して
くれた。詩人のロバート・ブラウニングがフィッツジェラルド家の
人たちと親しかったからだった(ちなみに、祖母も詩を書き、
作曲し、ピアノを弾いて、自作を機会に応じて披露するほどだった)。
しかし、エドワードは少し真摯なところが足りなかったことを知った
ラッセルは、今度はエドワードを激しく憎悪するようになり、遂には
エドワードを絞め殺そうとしてしまった。

殺されなかったエドワード・フィッツジェラルドは登山家となった。
1897年,アコンカグアの初登頂を目指す遠征隊を率いて成功した
イギリスの登山家として名を成した。

昨日はLord Edward FitzGerald (15 October 1763 – 4 June 1798)の末裔が
御主人という女性を知った。
エドワード・フィッツジェラルド卿はアイルランド人。
父を幼くして亡くしたが、先進的気取りのある人だった母親はエミール・ルソーを
息子の家庭教師にしたいと考えた。しかし、ルソーは都合がつかなかったため、
他の人がチューターになった。ルソーの社会契約説の影響で、と末裔と結婚した
日本人女性は言う、エドワード・フィッツジェラルド卿はアイルランドで革命を
起こそうとしたが、失敗した。



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