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2017年08月06日20:27

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ヴォルテール主義

ジョージ・スタイナーはフランス語、ドイツ語、英語を自由闊達に
使いこなす文芸批評家で、Language and Silence(ita.)で1960年代に
著名になった。ウィトゲンシュタインの『論考』批判を扱つており、
大昔に読んだのは懐かしい想い出である。

後日、スタイナーはウィトゲンシュタインの『論考』をシュテファン・ツヴァイクの
短編『チェスをする人』になぞらえている。主人公は読書家だったが、閉じ込め
られてしまい、自由に本を読めなくなってしまう。本を失敬して読む。
そうした一冊にチェスの本があり、表の表紙から裏の表紙まで隈なく読み、
あらゆる手をたたき込んで、チェスを頭でやれるようになるまでになる。
この主人公が自由の身になり、チェスのチャンピオンと船上で一騎打ちする
ところがこの短編のハイライトである。
主人公は敗北する。チャンピオンがどんな手をうってくるのかどんどん頭に
思い浮かべるのだが、チャンピオンはすぐに駒を動かさないため、主人公は
いらだってしまって、自暴自棄になってしまうのだ。忍耐力があったなら
容易に勝てるのに。この主人公の緻密な(スタイナー的には「機械的な」)
計算ないし読みが『論考』の理詰めに似ているとスタイナーは言う。

これは、一面的な読みだが、ウィトゲンシュタインの初期著作を読みこなせな
かった私も同様な印象と感想を覚えたことを憶えている。
その後、黒崎宏先生の『論考解読』や後期著作『哲学探究』から『論考』を
見ると、理詰めのうちにあるドア---哲学的問題に陥っている人が見出す、
自らを閉じ込めていたところにある扉である---出口を見い出せることに気が
ついた。

長すぎる前置きになってしまったが、
ジョージ・スタイナーの動画がユーチューブにアップされていたので
見てみた。

https://www.youtube.com/watch?v=7bEeAiVnGbM

ジョージ・スタイナーの幼少期の思い出の一つに語られている
興味深く愉快なのはヴォルテール主義。
インタヴューでユダヤ人として宗教的薫陶を受けたのかに対する返答
である。
宗教的なしつけはなく、父親も祖母もヴォルテール主義者で、
祖母は「私は善良ではない。善くなることもできるが、どうでもいい」を
お祈りとして唱えさせた。


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