こう言った事を安易に行う者はそんな自分にも苛まされている。
人を貶めて楽しそうにしている風を装っているが、苦しくて苦しくて仕方がない。
自分をどうにかして変えたい。
それが他からの刺激で他への攻撃として露出する。
それが最も安易で何か変わるのではないかと錯覚しているからだ。
自分がそうされた時に、自分にその様な事をした者たちが実に楽しそうに見えたから。
けれどもそれは錯覚だ。
何故なら、本当に楽しんでいる者は人を貶める暇など無い。
貶める者たちも非常に自分に苛まされている。
苛んでいる姿はなかなかわからない。
何故なら、苛んでいる姿を誰にも知られたくないから隠す。
自分自身にはもっと隠す、認めるわけにはいかないから隠す。
助けて
心の奥底ではいつもこう叫んでいるにも拘わらず。
何故なら助けを求めるなと同様の者から刷り込まれてしまったから。
また、誰にも止めてもらえず、誰からも愛されてもいない。
それは自分で止めようとせず、誰も愛そうとしていないからだ。
自分が止めてもらえないから、愛されないからと、他に同じ事をして復讐するのではなく、愛してくれなかった者への復讐は、自分が他を愛する事で復讐を完遂する。
それは容易な事ではなく、むしろ至難、生きている間に出来ないかもしれない。
けれども、そうし始めただけで他を貶める自分からは変わっている事に気がつくだろう。
誰かが自分を止めてくれるとは限らないし、愛されるとも限らない。
それでも、自分を自身で止め、人を愛してみるしかない。
ちなみに、桃の子「桃太郎」は鬼の子だろう。
おじいさんとおばあさんに愛されて育っただけで。
桃を拾ったおばあさんに「窃盗だろ」「桃の気持ちを考えたことがあるのか」 SNSの炎上を強烈に風刺したCMが秀逸
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=128&from=diary&id=4651875
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