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2017年04月08日10:10

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13年間乗った昭和61年式ジープJ53を廃車に(3/31)

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2002年10月に新潟勤務になり、それまで乗っていたクルマはスズキカプチーノだけだったが、雪が降る新潟でFR駆動のカプチーノだけじゃしんどいので、4駆のクルマを追加することにして、学生時代から憧れていたジープJ44を見つけて手に入れた。

ところが、そのJ44は2003年2月に高速道路走行中にエンジンが壊れて走行不能になってしまい、三条市の整備工場に入庫させ、代わりの中古エンジンに換装する方針となり、とりあえず見つけた中古エンジンに載せ替え5月には復活したが、このエンジンが壊れているわけではないのだが、ピストンリングが摩耗しておりブローバイガスが多くエンジンオイルの減りが激しい上にパワーも出ず、調子が悪い。

もうちょっとまともなエンジンに載せ替えたいと思ったが、古いクルマでまともに動く状態の中古エンジンは流通価格は高く、30万円くらいする。

ちょうどその頃、関東や中京、近畿の一部都府県市では、ディーゼル規制条例が制定され、古いディーゼルエンジンの商用車は排ガス対策をしなければ車検を更新できなくなったり、地域によっては運行すらできなくなることになっており、ディーゼルのジープは中古車価格が暴落し、売れない状況になっていた。

たまたまインターネットの書き込みで、条例制定により乗れなくなる千葉県で、走行63824.8kmの車検の切れた1986年式J53の引き取り手を探している人がいるのを見つけた。

直管マフラーで爆音はするは、フェンダーからはみ出す幅広タイヤを履いているは、リフトアップされているはでバリバリのとんでもない違法改造車だったが、自分が必要なのはエンジンだけで、そのエンジンの調子は良く、「10万円で良ければ引き取ります」と連絡したところほかに打診してきた者もおらず譲ってもらえることになり、2004年3月に引き取って新潟に持ってきた。
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すぐエンジンを外しはせず、しばらくそのまま乗らずに月極駐車場を借りて置いていたが、その年の秋に岐阜のジープ仲間から廃車にするディーゼルジープのエンジンをタダで譲ってもらえることになった上、岐阜までJ44に乗って行けば仲間が寄ってたかってエンジンを載せ替えてくれることになった。

新潟から岐阜を往復する燃料代だけでエンジンを載せ替えて帰ってこられることになり、2003年11月に岐阜へ行ってJ44のエンジンを換装してきたため、エンジンだけ取るつもりだったJ53が車体付きで丸々1台宙に浮いてしまった。

乗らないクルマの駐車場代を払い続けるのもばかばかしいので、違法改造状態だったJ53を車検に通る状態に戻して、ユーザー車検で合格できたらナンバーを取って乗ることに決めた。

解体部品をコツコツ集め、2004年のゴールデンウィークに仮ナンバーを取って群馬のジープ仲間のガレージに通い、教えを請いながらノーマルのマフラーとリーフスプリング、タイヤに交換して、オーバーフェンダーも取り外し、ブレーキはバラしてオーバーホールしてユーザー車検を受けてみることにした。
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連休明けに車検を受けてみたら合格でき、ナンバーを取得してしまった。
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これがJ53に乗るようになったきっかけである。

元々ジープJ50系にはさほど興味はなく、乗りたいクルマだったわけでもなく、エンジン取り用に譲り受けたものをノーマルに戻して登録したわけだが、海が近く潮風に当たる上に冬は融雪剤を散布する新潟→釧路勤務で、できるだけ錆びさせたくないJ44の身代わりとして、日頃の通勤や降雪時の主力車として乗ってきた。

このため、年式はJ44より3年新しいが、塩まみれになって車体の劣化は早く、その都度対策してきた。
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荷台に荷物を出し入れするために、うっかりリアの幌のファスナーを開けたところ、長年使用してきた幌は縮んでおり閉められなくなってしまってからはすき間風が入り込んで寒いクルマになり、冬の長距離の運転は寒くてたまらず、長距離の運転は躊躇するようになったが、通勤など短距離の日常使用は続けてきた。
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屋根のない駐車場に雪が積もったときは、4駆にシフトして突っ込んで轍を作り、バックして少しずつ横にずらしていって踏み固めていき、その上に停められるようにするにも便利なクルマで、北海道生活満10年経ったが、結局1度も除雪することなく過ごすこともできて便利だった。
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しかし、釧路勤務時代には飛び石によりフロントウィンドーにヒビも入った。
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近年めったにしないパンクもしたし。ヒューズも飛んだ。。
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また、シバレた日に一服し、空気を入れ替えるために運転席の幌のビニール製の窓を開けたらパリンと割れてしまった。
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それでも車検は通るのでそのまま乗り続けてきたが、その後旭川を経て函館勤務となり、去年にはついにバックアップランプ取り付け部の崩壊が進み、それで車検を受けてみたら固定されているとは認定できないとの判断で不合格になってしまった。

函館では徒歩通勤でJ53は完全に余剰になっており、廃車しようかとも悩んだが、車検を受けるに当たって自賠責を1年継続しちゃっていたし、バックランプ取付部ごと切り取り、別途外付けのバックランプを取り付けても5000円も掛からなかったので対策し、再検査で車検を1年継続していた。
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しかし、今度はリアのナンバープレートを照らすライセンスランプが台座ごと崩壊した。
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板金するかナンバープレートを移設すればまだ車検は取れるが、去年の夏に1993年式ホンダBEATを入手し、一時的にクルマを5台保有する状態になっており、さすがにそこまでして維持したいクルマでもなく、J53は今年の車検は通さず、廃車にすることに決めた。

フロント右のホイールハウスにも大穴が開いている。
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4月1日まで廃車にせずにいると、新年度分の自動車税の納付用紙が送られてきてしまうから、年度内に廃車にしてしまおうと、今年の冬は兼務先の苫小牧の事務所に停めていたJ53を3月30日の出張ついでに函館まで乗ってきた。

よりによって最後のロンクドライブが雪になってしまった。
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あれよあれよという間に積もってしまったが、雪道の運転自体は楽なのだが、何せ幌のすき間から風が入り込むから寒かった。
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そして、翌3月31日金曜日、J53最後の日を迎えた。

この日廃車にするが、前日まで履いていたスタッドレスタイヤはまだまだ使えるから、来期はほかのジープに履かせることにするのでこのまま廃車にはせず、まずは磨り減った夏タイヤに交換。
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タイヤ交換は終わったが、廃車にすると言ってもすぐに解体するわけではなく、函館で世話になっていた近所の整備工場が構内の除雪用に欲しいとのことなので譲ることにしており、整備工場までは自走して持ち込むので、あとはアパートから整備工場まで走るだけとなった。

現代のクルマにこんな装備などないが、運転席に直接外気を取り込めるこのセンターベンチレーター、便利だったな。
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運転席に乗り込むのもこれが最後である。
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見慣れたこの眺めも今日までか。
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助手席方向。
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さて、整備工場まではすぐで、300mほど走ってエンジンを止め、J53から降りる。

10万kmの位のないジープのオドメーターは27613.5kmを指していたが、もちろん+10万kmであり、譲り受けたときが63824.8kmだったから、自分が保有した13年間の走行距離は63788.7kmだったことになる。
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そして、整備工場に引き渡し、ナンバープレートを外したが、ナンバーがないと途端に廃車に見えるもんだな。
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そして、外したナンバープレートと車検証を持って函館運輸支局へ。
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廃車の手続きは3通りあるが、解体はしないので、再びナンバーを取って乗ることはないとは思うが、車検を受ければ再び登録可能だし、場合によっては輸出もできる状態にとどめる一時まっ消登録する手続きにする。

ただし、新潟で登録してからずっとそのままの新潟ナンバーだから、函館運輸支局で車検証とナンバー返納だけで直接廃車を受け付けてはもらえない。

登録時の新潟から現在の函館在住に至る全ての履歴が分かるよう、本籍地から取り寄せた戸籍の付票を添え、ナンバープレートは振り出さないものの、書類上一瞬函館ナンバーに移転登録し、同時にまっ消する専用のナンバー「函館499 さ 1026」として登録され、即時にその函館ナンバーの登録をまっ消。
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これでJ53は公道を走ることはできなくなった。

書類上は廃車になったが、解体はしていないので、これからは引き取ってもらった整備工場で排土板を装着され、積雪時の構内除雪用に余生を過ごすことになっている。

元々エンジン取り用に入手してしまった後で、別のまともな中古エンジンが手に入りしかたなく乗ることにしたJ53だったが、まさかそれから13年間も乗ることになるとは想像もしていなかった。

こんなきっかけでもなければ一生ジープJ50系に乗ることなどなかったと思うが、何だかんだ13年も乗ったら愛着は湧くもんだな。

車体が短く取り回しが楽だったし、ジープJ53にしか搭載されることがなかった直噴ターボエンジンンの4DR6はパワーもあって運転しやすいジープだったな。
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