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2017年02月28日02:18

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日々満たされて歩む人生を!

日々満足して、ああ私は満たされている!と宣言生きることは肝要である!
隣人に満足し、環境に満足し、或いは置かれている立場であろうか?
そこに!如何に満足し歩むかは実はかなりの割合で、その大切さを占めるのだ!
何故?そこまで満足せねばならないのか?
人間本来満足という言葉は当てはまるような存在なのか?いささか疑問ではあるが…。
果たして満足しその先には何が待つのか?そこには何にも代え難い、心身の調和或いはバランスの良さとでも言おうか。その満たしを感じながら生きる人生は、実に有意義である。
コップの水が3分の1程の状態に対して、「これだけしか」と応答するのか、まだ「こんなにもある」と応答するのか、実はそのような些細なテーマでも満足か不満か二者択一は迫るのだ!
或るいは、「これだけしか」と表現し、まだまだ、もっともっと!と言うであろう。
果たしてそこに笑顔はあるであろうか?そこにあるのは、「争い」我の物也!が存在しないだろうか?
然り!そこにあるのは物欲であり、良い意味での物欲ではなく正に!悪い意味での物欲である!
「欲しい」「奪ってでも自分の物にしたい!」これを実行してしまうため、現在の世に犯罪が絶えないのだ!
では、逆に「満足」を感じつつ生きるとはどのようなことだろうか?
それは前述の通り、コップの水が3分の1であろうが、「まだこんなにもある。幸せだ」そしてそこには「分配」が生ずるのだつまり分け与えること。
これは何を表すのか?
それは、「隣人愛」である!
然り!「こんなにもある」に生きられる者はそこに「満足」を抱くため「あの人にも分けてあげよう。私は十分に満たされた」と、そのような生き方には、自然と人が引き寄せられるのではないだろうか?
誰も「あの人にも分けてあげよう。」を犬猿の仲以外は好むのである!
そしてそこには、調和、平和、一致、一体、麗しい表現が並ぶのである!
そして、笑顔、柔和、寛容、良い言葉が羅列されよう。
そのように生きている者は笑顔が輝き、人を引き寄せるのだ!
然り!「もっともっと!」の精神に生きる者にそこに調和や一致、平和は存在せず!
常に!「争い」「憎しみ」「妬み」といった悪い表現が羅列されよう。
その様な者に笑顔は無く、常に自身の欲に自身が支配され、「もっともっと!」を実践するため、人はその様な者には寄り付かないのだ!
如何なものであろうか?
然り!日々如何に「満足」し生きる姿勢は実に肝要なのだ!
是非日々「私はこんなにもある、あの人にも分けよう」これを実践しようではないか!
そこに!真の平和が存在するのだ!
平和を生み出し続けるものでありたいと心底願う。
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