江戸時代初期、キリシタン弾圧下の長崎で消息を絶った宣教師を探すために、弟子のロドリゴとフェレイラはマカオ経由で日本へ密入獄した。
案内役の日本人キチジローに誘われて訪れた村で、彼らは隠れキリシタン達と出会い、想像を超える弾圧に衝撃を受ける。
主人公ロドリゴは、やがてキリスト教や神の存在に疑問を覚え、そして彼の信仰心は揺らいでゆく…。
遠藤周作の名作小説を、マーティン・スコセッシ監督が構想から18年かけて完成させた作品。
原作小説は、二十歳くらいの頃に読んだことがあったのですが、作中で出てくる神や信仰についての、登場人物の哲学的な会話について行けず途中で断念…。
映画化作品が公開されると聞いて、再度挑戦。
なんとか予習は間に合いました。
映画作品のストーリーや主なセリフは、原作小説をほぼ正確になぞっていて、文字通りの意味で小説の「映像化作品」。
まず最初に気になったのは「音」。
作品冒頭、目の前には突然、真っ暗になった画面。
同時に場内には、蝉やコウロギなどの虫の声が響き渡ります。
そして、虫の声が突然止まった瞬間、真っ黒な画面に現れる作品のタイトル「silence」。
作中でも、重要なシーンでさりげなく虫の声が聞こえてきました。
台湾でロケを行った風景の映像が目を引きました。
海辺や山中の絵が、荒削りな現実感があって、とても硬派な印象です。
小説にも出てきた隠れキリシタンを拷問するシーン、文章で読んでいると自動的に頭の中で規制がかかるのですが、映像で見せられるとそうもいかず、見ていて辛いものがありました。
最近見た恋愛映画で主演していた小松菜奈(汚れたメイクをしてしていたので、最初は誰だか分からなかった)のファンは、見ていられないんじゃないの?
作品の表面だけを眺めていると、クリスチャンを迫害する日本人の暴挙に怒りがこみ上げてきそうです。
しかし、この作品が訴えたいものは、そんな表面的なものではなく、「神」や「信仰」という哲学的なもの。
神を愛し信仰する信者が迫害されているのに、なぜ神は沈黙を貫くのか?
自分達は、「神」ではなく「無」を信仰しているのではないか?
宣教師が命懸けで布教した「キリスト教」と、日本人が崇める「キリスト教」は違う。
(日本のクリスチャンの人に、ここのところは意見を聴いてみたい)
そういう「キリスト教」の批判が作品の重要なところ。
(批判という言葉は、否定的なイメージで使われることが多いのですが、正確には本質を見極めるとか精査するという意味です。)
ここが作品のテーマなので、知識と知性をフル回転させられます。
ついて行けるか否かで、評価が分かれそうです。
作品のラスト。
原作小説では、「切支丹屋敷役人日記」という、主人公を監視していた役人の「報告書」で締めくくられていました。
そこには感傷的なものは無く、主人公が晩年をどう暮らしていたのか?を、簡潔な文章で記録されていて、彼の心象は全く描かれていません。
主人公の最後は読者の想像に委ねます…、と語りかけられたような。とても、余韻が残ります。
映画作品のラストは、スコセッシ監督独自の演出で少し違う印象になっていました。
例えるならば原作小説への「答え answer」。
ラストで主人公の手のひらの中に添えられたものが、スコセッシ監督が考える「信仰」の形だと思う。
俳優の演技は見るものがあり、普段考えない哲学的なテーマに知的な興奮を覚えます。
面白かったw
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