mixiユーザー(id:3045000)

2016年11月03日23:05

366 view

作品なのか演奏なのか〜11月のミニコンサート

クラシック音楽へのおさそいBlue Sky Labelという
サイトがある。
著作権の切れた音源のアップと
PCオーディオの取り組みのブログ(「PCオーディオ実験室」)
がメインだが
サイトの中にある「エッセイ集」のなかで
「作品なのか演奏なのか」という考察がある。

その1 http://flac.aki.gs/Music/?p=768
その2 http://flac.aki.gs/Music/?p=778
その3 http://flac.aki.gs/Music/?p=784

これは実に興味深い内容で、いろいろ考えさせられた。

「カラヤンは歌舞伎の千両役者でした。そして、彼が存命中の
クラシック音楽は歌舞伎の世界だったのですが、
彼が亡くなったとたんにクラシック音楽の世界は
『能の世界』に戻ってしまったような気がするのです」

「もちろん、能という芸能を否定する気は全くありませんが、
その素晴らしさを味わうためにはかなりの辛抱が必要です。
そして、観客に辛抱を求めるジャンルはどうしても
限られた人だけの世界になります。」

「山田やテンシュテットにはあって、ジンマンや(おそらく)
オサワなどにはないものは何なのか?という命題です。
結論を言ってしまえば、私はそれは『花』だと考えています。」

「芸術には、咲き誇る大輪の花が絶対に必要です。そして、
カラヤンには間違いなくその『花』がありました。
その『花』の値打ちを素直に、そして真っ当に評価しようとする人が
少ないことこそが、今のクラシック音楽をつまらなくしているのです。

そして、その『花』は分かる奴だけが分かればいいと言う
狭い世界に閉じこもってしまえば絶対に育たないものなのです。」

そんなに難解な内容でもないので、興味ある方は、ぜひ
全文を読んでいただきたい。

それにしても、「その1」で紹介されている、ストコフスキーの
ヘンデル「王宮の花火の音楽」には
びっくりさせられた。
曲の最後の最後で、花火を打ち上げる音が別録りで入っているのだ。
(第5曲)
まるで大砲をぶっぱなしたような、どでかい音である。
ストコフスキーは、確かにタダモノではない。
(何を考えているんだ?という気がしないでもないが)

「PCオーディオ実験室」も面白いが、かなり高度な内容である。
「ユング君」を自称するだけのことはある。

リッピングひとつとってみても、高性能の外付けドライブが必要で
リッピングソフトはEACでも、まだ不満で
iTunesなど論外、という厳しさだ。

音楽再生専門のPCのOS「VoyageMPD」に至っては
読んでいて、正直、手も足も出ない気がした。
ここまでやるのは大変だろう。


今月は音楽喫茶でミニコンサートをやることになった。

11/23(水.祝)音楽喫茶あんさんぶる

ドビュッシー 2つのアラベスク
ショパン 小犬のワルツ
ショパン ワルツ 第10番 ロ短調 Op.69-2
モーツァルト トルコ行進曲

シューベルト ソナタ第18番「幻想」より第4楽章
ベートーヴェン ソナタ第8番「悲愴」

いわゆる「名曲コンサート」みたいなものであるが
その中で、シューベルトの難物が入っているところが
ミソである。
本当は「幻想」は全曲弾きたいところだが
この曲だけでコンサート時間が終わってしまう。

そんなに難しいプログラムではないので
リラックスして臨みたい。

10 11

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する