いま世界の哲学者が考えていること
岡本裕一朗著
ダイヤモンド社
普通の生活をしていると、哲学書を読んだり哲学者の話を聞いたりという機会はほとんどありません。むしろ、おそらく、それは人生が順調な証拠なので、喜ぶべきです。過去に哲学書を読んだという場合でも、高校の指定図書だったり、大学受験対策だったりで、自発的に読んだという人は多くないでしょう。何かのきっかけでプラトンやキルケゴールに興味を持って読んでみたという人もいるかもしれませんね。生きる上で、何かに悩んだり躓いたりした時に、ふと魔が差して（笑）哲学書を手に取ってしまいます。
本書で扱っている哲学は、そういった種類の哲学ではありません。著者は、ミッシェル・フーコーが、カントの『啓蒙とは何か』について書いた文章を引用して、「たった今進行しつつあることは何なのか、われわれの身に何が起ころうとしているのか、この世界、この時代、われわれが生きているまさにこの瞬間は、いった何であるのか」を本書の方針としています。従って、いわゆる個人の人生訓のようなテーマではなく、政治・経済・科学・宗教といった分野での哲学者の研究や提唱が本書のテーマとなっています。各分野での議論や問題点について哲学者や関連する学者の説を紹介しながら検討しつつ書籍も挙げています。未訳の書籍が多いのが泣けます(;_;)
恥ずかしながら名前も聞いた事がない哲学者も多く、著者がせっかく分かりやすく紹介してくれているのに私がいちいちコメントするのもどうかと思いますので、目次を列挙しつつ、気になってググったり書籍を注文したりした部分からピックアップして感想的な物を書いておきます。
第１章 世界の哲学者は今、何を考えているのか
第１節 ポストモダン以降、哲学はどこへ向かうのか
第２節 メディア・技術論的転回とは何か
第３節 実在論的転回とは何か
第４節 自然主義的転回とは何か
ここでは、現代の天才哲学者、マルクス・ガブリエルが気になりました。ちょっと長い引用ですけれど…。
※引用中の引用（孫引き）は本書中では２文字下がりになっていますが、改行が乱れてしまいますので、☆〜☆を孫引き部分とします。
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２０１３年に出版された『なぜ世界は存在しないのか』は、哲学書としては異例のベストセラーとなり、ガブリエルの才能を一般にも知らしめました。これは専門書というより、どちらかといえば、一般読者向けの著作ですが、彼の「新実在論」の構想が、きわめて簡潔に語られています。そこで、この書物を少し見ることにしましょう。
（中略）
こうしたポストモダン的な「構築主義」に対して、ガブリエルは「新実在論」を提唱するのですが、それはどのような思想なのでしょうか。それを理解するために、ガブリエルが提示した具体的な例を取り上げてみましょう。彼は次のようなシナリオを語っています。
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アストリッドがソレントにいて、ベスビオス山を見ているのに対して、私たち（あなたと私）はナポリにいて、ベスビオス山を見ている。
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まず古い実在論（これをガブリエルは形而上学と呼びます）によれば、唯一存在するのはベスビオス山だけです。これが、ある時はソレントから、別のときはナポリから、偶然に見られるわけです。「構築主義」の立場では、三つの対象、つまり「アストリッドにとってのベスビオス山」「あなたのベスビオス山」「私のベスビオス山」だけがあります。それを超えて、対象や物それ自体があるわけではありません。
それに対して、ガブリエルが提唱する「新実在論」は、少なくとも四つの対象が存在すると考えます。�．戰好咼�ス山�▲愁譽鵐箸�ら見られたベスビオス山（アストリッドの観点）��ナポリから見られたベスビオス山（あなたの観点）�ぅ淵櫂蠅�ら見られたベスビオス山（私の観点）です。彼は、これらすべてが存在すると考えるだけでなく、さらには「火山を見ているときに感じる私の秘密の感覚でさえも事実である」と述べています。
ガブリエルによると、一方の古い実在論は「見る人のいない世界」だけを、他方の構築主義は「見る人の世界」だけを、それぞれ現実と見なしています。それに対してガブリエルは次のように述べて、自らの「新実在論」を正当化しています。「世界は見る人のいない世界だけでもなければ、見る人の世界だけでもない。これが新実在論である」。
こうして、ガブリエルの「新実在論」は、物理的な対象だけでなく、それに関する「思想」「心」「感情」「信念」、さらには一角獣のような「空想」さえも、存在すると考えるのです。その点では、「実在論」の一般的なイメージとは、いささか離れていると言えます。（後略）
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ガブリエルの「新実在論」がなぜ重要だと見なされているかといますと、現在は、私たちの知覚や認識だけでなく、想い描く「思想」「心」「感情」「信念」「空想」といった表象・抽象までも、すべて脳内の化学物質と電気信号に還元する事が可能な、単なる物質的現象だというのが定説となっているからです。もちろん現在の世界は唯物論を大前提として動いていますので、この定説を否定するのは困難なのですが、かといって脳や神経の構造や活動はごく一部しか解明されていませんし、心が発生する仕組みが解き明かされたわけでもありません。物質と心の関係はまだまだこれから哲学や医学だけでなく幅広い分野で研究対象となるでしょうし、心の主体的な存在を復権させるのは、これからますます物質的になるだけでなく、場合によってはＡＩに支配されるかもしれない社会においても必要になるかもしれません。そこで、ガブリエルの近著「私は脳ではない」を読みたいなと思ったら、未訳でした(>_<)
第２章
第１節 人類史を変える二つの「革命」
第２節 監視社会化する現代の世界
第３節 人工知能が人類にもたらすもの
第４節 ＩＴ革命と人間の未来
第２章は広く社会に関わる問題です。「啓蒙の弁証法」に興味を引かれました。
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（前略）この「自律型の人工知能」は、いったいどこへ向かうのでしょうか。これを考えるとき、ヒントになるのは、アドルノとホルクハイマーが「啓蒙の弁証法」（１９４７年）と名づけた概念です。彼らは、第二次世界大戦中、亡命先のアメリカで『啓蒙の弁証法』を執筆し、近代社会の未来について、次のような概念を表明したのです。
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何故に人類は、真に人間的な状態に踏み入っていく代わりに、一種の新しい野蛮状態へと落ち込んでいくのか。
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一般に、「啓蒙」というのは、人間を無知蒙昧な迷信から解放する「合理的な理性」を意味しています。近代科学や近代市民社会や資本主義経済などは、この「啓蒙」によって生み出されたものです。ところが、アドルノとホルクハイマーによれば、こうした合理的な「啓蒙」は、やがて自分自身を否定するようになり、「反―啓蒙」である神話や暴力へと転化する、というわけです。この「反―啓蒙」として、彼らはナチズムやスターリニズムなどの「全体主義」を見ていました。
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ロボット等の人工知能が人間に反旗を翻したＳＦ作品は数多くあります。私達は、いよいよ、その危険性が高まった状況まで来てしまいましたね。
第３章 バイオテクノロジーは「人間」をどこに導くのか
第１節 「ポストヒューマン」誕生への道
第２節 クローン人間は私たちと同等の権利をもつだろうか
第３節 再生医療によって永遠の命は手に入るのか
第４節 犯罪者となる可能性の高い人間はあらかじめ隔離すべきか
第５節 現代は「人間の終わり」を実現させるのか
この章は倫理学の分野で、日常的に話題になる事も多い問題ですね。国家による強制的な優生学を拒否する人は多いかと思いますが、両親が合意の上で、胎児の遺伝子を改良して、健康で能力の優れた赤ちゃんを産む、しかも改良された遺伝子は子孫に伝わる、というのは反対しない人もいるでしょう。ただ、両親と違う遺伝子を持つ赤ちゃんは、本当に、その両親の子供と呼べるでしょうか？
第４章 資本主義は２１世紀でも通用するのか
第１節 資本主義が生む格差は問題か
第２節 資本主義における「自由」をめぐる対立
第３節 グローバル化は人々を国民国家から解放するか
第４節 資本主義は乗り越えられるか
ここでは、多くの人に知っておいて欲しい議論があります。
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トルコ出身の経済学者で、現在はプリンストン高等研究所の教授であるダニ・ロドリックが、２０１１年に『グローバリゼーション・パラドクス』を出版し、グローバリゼーションにどう対処すべきか、議論を展開しています。彼によると、次の三つの道（「トリレンマ」）が可能であり、私たちはこの中から選択しなくてはならないのです。
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国民民主主義とグローバル市場の間の緊張に、どう折り合いをつけるのか。われわれは三つの選択肢を持っている。国際的な取引費用を最小化する代わりに民主主義を制限して、グローバル経済が時々生み出す経済的・社会的な損害には無視を決め込むことができる。あるいは、グローバリゼーションを制限して、民主主義的な正当性の確立を願ってもいい。あるいは、国家主権を犠牲にしてグローバル民主主義に向かうこともできる。これらが、世界経済を再構築するための選択肢だ。
選択肢は、世界経済の政治的トリレンマの原理を示している。ハイパーグローバリゼーション、民主主義、そして国民的自己決定の三つを、同時に満たすことはできない。三つのうち二つしか実現できないのである。
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アメリカで「We are the 99%」と言いながらウオール街を占拠した連中が連絡や広報に利用していたのが、フェイスブックやツイッターだったそうですね。１％の富裕層を批判するために、ハイパーグローバリゼーションと成り上がり富裕層の象徴であるネットツールを使っているのですから、何をか言わんやです。まあ日本人も、格差反対・ブラック企業反対を唱えながら、アップルやディズニーの製品を愛用しているのですから同類ですけれど。
ロドリックの主張は、ハイパーグローバリゼーションよりも民主主義と国家主権を優先させるべきだ、というものです。グローバリゼーションは放棄するのではなく、賢いグローバリゼーションを必要とする、としています。この２／３選択は、日本人（もしかしたらイギリス人もw）はロドリックに賛成する人が多いと思いますけれど、今後、世界で議論されるとしたらどうなるか興味があります。
第５章人類が宗教を棄てることはありえないか
第１節 近代は「脱宗教化」の過程だった
第２節 多様な宗教の共存は不可能なのか
第３節 科学によって宗教が滅びることはありえない
ここでは、有名なグールド＝ドーキンス論争、ダニエル・デネットの「宗教を多くの自然現象の一つと考えて、それを科学的に探究する」といった説を紹介した後、マルクス・ガブリエルが再登場します。
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こうした創造説に対して、ネオ無神論が「単に疑似――説明にすぎない」と批判したことは正しい、とガブリエルも評価しています。しかしながら、彼は創造説について、次のようなコメントを付け加えているのです。
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創造説は真面目に受け取られるべき科学的仮説ではなく、人間の想像力による恣意的な捏造であって、しかもとくに古いわけでもない。それが最初に現れたのは、１９世紀であり、とくにアングロ・アメリカンのプロテスタンティズムにおいてである。幸運なことに、ドイツでは創造説は何ら役割を演じてはいない。（中略）創造説は宗教の自然な要素ではなく、むしろ迷信の一形態である。
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ここから分かるのは、ネオ無神論のような創造説を批判したところで、本丸のキリスト教を批判できたことにはならないことです。（以下略）
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私自身は、宗教が中東等の紛争やテロの原因とは思っていませんが、むしろ、宗教を利用して（宗教の名の下に）貧困層や若者がお金や命を搾取される手段として役立ってしまっている点を重要な問題だと思っていますので、無神論は広く知らしめられるべきだと信じています。その点で、自然科学がどんなに頑張っても宗教を消し去る事はできないのは残念でなりません。といいますか、これこそ哲学が取り扱うべき問題ですね。
第６章 人類は地球を守らなくてはいけなのか
第１節 環境はなぜ守らなくてはいけなのか
第２節 環境論のプラグマティズム転換
第３節 環境保護論の歴史的地位とは
地球温暖化説も疑わしいという見方をする人が増えてきて、気候変動とかなんとか言い換えているようですね。
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本章の導入部で、終末論的な発想を示す定番話を紹介しましたが、それに対して、ビョルン・ロンボルグは次のように述べています。「この定番の話はみんなよく知っていて、もうあまりに何度も聞かされたので、それをもう一度繰り返されるとむしろ安心するほどだ。ただ、ここに問題が一つ。これは手に入る証拠では、どうも何一つ裏づけが取れないのだ」。たとえば、具体的な数値を示しながら、ロンボルグは次のように明言するのです。
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エネルギーも天然資源も、枯渇しそうにない。世界人口の一人当たり食料はどんどん増える。飢える人はどんどん減る。１９００年の期待寿命は３０年。それが今日では、６７年だ。国連によれば、過去５０年での貧困削減は、それに先立つ５００年より大きな実績をあげていて、しかもそれはほとんどすべての国で起きている。
地球温暖化は、（中略）総合的な影響を見ると、本来にとってそんなにすさまじい問題を引き起こさない。また生物種だって、ぼくたちの存命中に全生物種の２５〜５０％が死に絶えることはない―たぶん、０．７％がいいとこだろう。酸性雨は森林を破壊しないし、ぼくたちのまわりの水も空気もどんどんきれいになってきている。
人類という連中は、計測可能な指標のほとんどあらゆる面で、じつは改善を見せているのだ。
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こうしたロンボルグの記述を見ると、今まで定番話を聞かされてきた人々は、おそらく疑念の目をもつかもしれません。しかし、ロンボルグの記述は、それぞれ公共的な機関が発表しているデータの裏づけがあって、きわめて説得的なのです。（後略）
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もちろん、ロンボルグが中心となり、世界をよくするために何にお金を使うべきかを研究した「コペンハーゲン・コンセンサス」にはデータの取捨等についての批判があります。ですが、ＩＰＣＣにもひどい圧政や隠ぺいがあると報道されています。環境問題には、社会制度や科学の倫理等以上に、議論の前提となるデータの正確さやデータ評価の客観性が必要とされます。私達はまだ、その前提にも辿り着いていないという認識を共有すべきではないでしょうか。
最初の予定よりも私の意見を入れてしまいましたが（笑）、こんな感じで読みやすく最新の議論と学者を紹介していますので、興味のある分野の術語や学者を検索しながら読んで、今現在、人類はどんな問題に直面していて、それをどんな人達がどのように解決しようとしているのかを知って頂けると嬉しく思います。
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