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2016年10月15日23:15

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エリック・サティ「梨の形をした3つの小品」

今年もあと2か月と少しで終わり。
そういえば、今年はサティイヤーだ。

そこで、サティのピアノ曲集を聴くことにした、

「サティ ピアノ曲集」
ジャック・フェブリエ、ジョルジュ・オーリック(連弾のみ)
(LP,米エヴェレスト)

最後の2曲のみ、ジョルジュ・オーリックが連弾で参加しているのを
後から気づいて、しまったと思った。

オーリックは、もともとはサティの親友であり、同時に
最大の理解者でもあったのだが、
ささいなことで仲違いしてしまう。

オーリックは、たちの悪いことに、
「さようなら、エリック・サティ」という文章を発表して
サティとの決別宣言を行い、晩年のサティを大いに傷つけたのだ。

そのオーリックが参加している、「梨の形をした3つの小品」では
荒っぽい、ミスの多い演奏で、聴き手を失望させる。

ジャック・フェブリエも、曲に対する理解や愛情を感じさせない演奏。
今となっては、価値の薄いLPなのかもしれない。

サティの音楽は、徹底した、アカデミズムへの反逆である。
そういう立場から、環境音楽ふうの「ヴェクサシオン」や
ショパンやベートーヴェンを皮肉った「干からびた胎児」などが生まれた。

当然、既成の価値観からは、彼の音楽は理解できない。
フェブリエや、チッコリーニの演奏は、いまとなっては
いかにも、「サティが理解されなかった頃の演奏」という感じがする。
チッコリーニの「風変わりな美女」のバカ騒ぎのようなふざけた演奏は
その典型だ。

その後の、ジャン・ジョエル・バルビエや、ラインハルト・デ・レーウらの
演奏によって、ようやくサティの音楽が、あるべき姿で出て来たと思う。
この2人の演奏からは、作品に対する深い理解と愛情を感じる。

「梨の形をした3つの小品」は、サティブーム(1985年以降)以前から
人気のあった作品で、ピアノ連弾曲のなかでも代表曲といってもいいくらいである。

親しみやすいメロディと、連弾ならではの垢抜けた響きは新鮮だし
その中にも、どうしようもない寂しさ、孤独を感じさせるところが
いかにもサティらしい。

CDは、ジャン・ジョエル・バルビエのサティ集(4CD)の中に入っている
演奏が完璧な出来栄えで、そのせいで、ほかの演奏をあまり聞いていない。

チッコリーニ&タッキーノの演奏は、「風変わりな美女」同様に
うるさい。この曲の親しみやすさも、寂しさも否定した、
アホみたいな演奏だ。
こんな演奏が高い評価を得ているのである。

サティイヤーということで、コンサートでぜんぜん
サティなんか弾かないピアニストまでが、CDを出しているが、
まともなものがあるのだろうか?

生誕150年のいまもって、この作曲家は演奏家や聞き手から
理解されていないのではないか?
そう思えてならない。



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