mixiユーザー(id:29675278)

2016年10月09日20:32

330 view

【ブックレビュー】ヒトはどこまで進化するのか

ヒトはどこまで進化するのか
エドワード・O・ウィルソン著
小林由香利訳
亜紀書房


 帯の大きな文字には「ピューリッツァー賞受賞の生物学者がいざなう魅惑のサイエンス・アドベンチャー」とありましたので、ヒトが何万年後かにはどんな形態や生態になっているのか論じているのかと思いましたら、ぜんぜん違いました(想像上のETの生物学的予想は面白いです)。


 本書は、アリの研究で有名な昆虫学者であり、社会生物学等の幅広い分野で活躍している著者が、「高校生などの若い読者向け」(解説より)に書いたコラム風の科学啓蒙書です。とはいえ、科学の知識面よりも、原題(The Meaning of Human Existence)通り、人間存在や社会との関わりについて生物学の視点から説明している部分が多くなっています。


・・・・・
(前略)集団内部における利己的行動は競争上有利に働くが、集団全体にとってはたいてい有害だ。個体レベルの選択とは逆方向に作用するのが、集団同士の間に働く選択だ。協力的で利他的な個体は、同じ集団の他の個体との競争では、その分不利になるが、集団全体の生存率・繁殖率を向上させる。要するに、個体選択はいわゆる罪を奨励し、集団選択は美徳を奨励する。その結果、誰もが内なる良心の葛藤にさいなまれる。例外はサイコパスだが、彼らは幸いにも総人口の一パーセントから四パーセントしかいない。
 自然選択の相反するふたつのベクトルが生んだものは、私たちの感情と理性にしっかりと組み込まれており、消すことはできない。内なる葛藤は、その人がおかしいから生じるのではなく、いつの時代も変わらぬ人間の性質なのだ。たとえば、ワシやキツネやクモにはそんな葛藤はない。彼らの性質は個体選択のみの産物だからだ。働きアリにも葛藤はない。彼らの社会的形質は完全に集団選択のみによって形づくられているからだ。
 自然選択のレベルが競合する結果生じた内なる良心の葛藤は、理論生物学者があれこれ思案する難解なテーマにとどまらない。私たちの胸のうちに善と悪がいて、熾烈な戦いを繰り広げているのではない。それは、人間のありようを理解する基本となり、人類という種の存続に必要な生物学的形質なのだ。(以下略)
・・・・・


 この主旨の言説が、何度も繰り返し登場しますので、著者が想定した高校生くらいの読者に最も伝えたい事だと思います。
 中学生や高校生ともなると、世の中には善があふれているのではない事を知り、時にはむき出しの悪と対峙する経験もするでしょう。キリスト教圏の場合では、幼い頃から、人間は原罪を背負っているという教育を授ける家庭も多いかもしれません。自己の振る舞いでも、善行ばかりではなく、悪い事もしたい年頃ですよね。著者はおそらく、そういった悩める若者達に、善悪に葛藤したり悩んだりというのは人間の生物としての性質なので、それを否定する事はできない、逃れる事はできない、社会にとって必要な事なのだ、と伝えたいのだと思います。
 また、有名な「利己的な遺伝子理論」を正しく読まずに、曲解した解説をネット等で拾い読みすると、あたかも利己的に振る舞う事が生物として正義だという誤解に陥ってしまいますので、注意を喚起しているのかもしれません。


 著者のウィキペディアでは宗教に対して寛容だとありますが、本書では宗教への批判スタンスは明確です。特に、生物学者らしく、特殊創造説(とイスラム教)に対しては攻撃的です。


・・・・・
 そうした文化の寄生者とでもいうべきものでとくにたちが悪いのは、生物進化を宗教に基づいて否認することだ。アメリカ人の約半数(一九八〇年の四四パーセントから二〇一三年は四六パーセントに増加)は、そのほとんどがキリスト教福音派だが、世界の同数程度のイスラム教徒と一緒で、そうした進化は一度も起きていないと考えている。
(中略)
 民主主義では皆が自分の信じたいことを何でも自由に信じられるのに、なぜ特殊創造説のような意見を文化の寄生者呼ばわりするのか。それは、特殊創造説が、慎重に検証された事実に対するやみくもな信仰の勝利を象徴するからだ。特殊創造説は証拠と理論的判断によって練り上げられた現実認識ではない。宗教的な意味での部族の仲間入りをする代償の一部だ。信仰は個人が特定の神に服従する証しであり、その場合でさえ神に直接ではなく、神の名を名乗る他の人間に対して差し出される。
・・・・・


 本書のアメリカでの出版が2014年ですので、執筆時期がテロの拡散やアメリカ国内での宗教的分断の時期と重なっていたのかもしれませんね。


 本書のもうひとつのテーマが、現在の定説である「包括適応度理論(血縁淘汰説)」への批判です。私の理解が足りないので紹介する自信がありませんが、とても興味深い論争です。今のところは著者が(かなり)劣勢のようです。ただ、繁殖能力を持たない働きアリや働きバチが、一緒に働く親戚との遺伝子の共有を意識しているとは思えませんよね。包括適応度理論は動物の社会性の説明原理としては正しいのかもしれませんけれど、今ひとつ腑に落ちません。
 論争といえば、本書では触れられていませんけれど、社会生物学(というより進化生物学)には常にイデオロギーとの関わりで批判を受ける宿命があるようでして、個人的にはこちらの方に興味があります(笑)。


 他にも、「他の星から来たエイリアンは人類の科学から学ぶ事はないはずだが、人文科学は学ぶはずだ」や、「彼らは地球をロボットで探索するはずだ。なぜなら、ETも人間と同じように体内に微生物の生態系を持っているので、地球の微生物が命取りになる事を知っているはずだ」といった、なるほど的なテーマも多く楽しめる一冊でした。

0 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2016年10月>
      1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
3031