mixiユーザー(id:1742111)

2016年09月30日01:22

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「昔」といったときに、一体どのへんから「昔」になるんだろうか。僕にとって、もはや10年前なんて結構最近のことだ。15年前でもそんなに「昔」感は無い。20年くらい前でようやく「昔」っぽくなってきたかなという感じ。歳を取ると「昔」の境界線はどんどん後退していくようだ。

また、1年前の出来事よりも30年前の出来事の方が鮮明に印象に残っている、みたいなことも多い。記憶というのは現在からの年数などはあまり関係無いみたいで、30年前の出来事でも昨日のことのようにはっきり覚えてることもあるし、わずか1週間前のことでも全くといっていいほど覚えていないこともある。

先日、20年くらい前の知り合いがツイッターで僕の名前を発見して連絡をくれたのだが、その知り合いは当時のことをあまり覚えていないそうで、僕としてはかなりビックリだった。僕は逆に当時のことをいろいろと覚えているのだ。とはいえ僕の場合こういうことは結構あって、相手は全く覚えてないのに僕の方はよく覚えているという事案がやたらと多い。短期的な記憶力(暗記とか)は悪いくせに、長期的な記憶力はかなりいいのだ。

昔の出来事をいろいろ覚えているということは、嫌な出来事だって沢山覚えているということでもある。だから長期的な記憶力がよくても特に楽しいわけでもない。悪いことだけ忘れるというワザは無いものだろうか。「忘れたいのに思い出せないのだ」(バカボンパパ)という境地に至りたいものだ。

ところで、小学時代のこととなるとほとんど覚えてないという人は結構いるようだ。僕は小学時代のことをかなりいろいろ覚えているのでそういう感覚がよく分からない。でも現に小学時代の記憶は本当に少ししか無いという人は何人も知っている。当時の自分のクラスメイトで昔の出来事を覚えてる人はどれだけいるのだろうか。たぶん僕しか覚えていないことも多いだろう。なにしろ、数え切れないほどいろんなことを覚えているのだ。

自分にとってとても楽しかった昔の出来事を覚えているのが自分だけだったりするのは何だか少し寂しい。それらの記憶は、自分の人生の中でもトップクラスで楽しかったことだったり、あるいはとても重要な出来事であったりするのだ。そしてそれが今の自分を支えていたりする。それらの事を自分以外誰も覚えていないとしたら、それらの出来事はただの自分の夢だったというのと似たようなものではないか。もちろん、独我論的に言えば、世界には自分しかいないわけだから(自分の認識こそが世界なわけだから)、他人が同じ出来事を覚えていようが覚えて無かろうが関係ないといえばいえるけど、やはり誰かと「あのときああだったよね」と共有できないのは少し寂しいものだ。

僕だけが覚えている昔の出来事は僕が死んだらすべて無かったことと同じになる。これがどうにも不思議でならない。過去の出来事なんて存在しないし、個人の記憶の中にしかないのだから当たり前なんだけど、それでもやっぱりどこか腑に落ちないというか何というか。
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