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2016年09月28日10:18

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日露戦争(45)

榴「前回でも触れたとおり、陸軍は第四軍を新編成して遼陽攻略戦の戦力を増強した」
三「第一軍、第二軍、第四軍が遼陽攻略部隊。第三軍が旅順攻略部隊の位置づけじゃな」
歩「陸軍からしてみれば旅順攻略はあくまでも海軍のヘルプ。最重要なのは何と言っても
  ロシア軍の一大拠点である遼陽。その遼陽での一大決戦が戦争の趨勢を決める、とい
  う考えだったわけですナ」
榴「同時に大本営は、満州軍総司令部を満州に開設。総司令官に大山巌、参謀総長に児玉
  源太郎という布陣デス」
三「東京の参謀本部がそのまま満州に出張してきたようなものじゃった。大山大将は作戦
  については児玉大将に委任しておった。その児玉大将が頼りにしていたブレーンとも
  言うべき存在が、2人の参謀井口省吾と松川俊胤じゃ」
歩「正直この満州軍総司令部の存在が、色々と残念な結果を生む原因となりマース」
榴「特に井口省吾と松川俊胤の2人。この2人はそれぞれ静岡と仙台の出身なのじゃが、
  当時の日本軍は藩閥支配の時代で、『海の薩摩、陸の長州』と言われておった。この
  井口と松川は特に長州人嫌いで、長州出身の人物と色々とあったようデス」
三「さて得利寺の戦いでロシア軍を撃破した第二軍じゃが、この戦闘でも千人以上の死傷
  者が出た。南山の戦いでは4千名だから、この時点で5千名減っている計算じゃ」
歩「兵員の補充をしないとまずそうデスゾ、さすがに」
榴「しかーし!満州軍総司令部は、大石橋に陣取るロシア軍への攻撃を命じマース。人使
  いの荒い総司令部デース。まあ戦争なんで当然と言えば当然なんだけど(笑)」
三「かなり激しい砲撃戦となったが、ロシア軍がやがて退却して行ったので第二軍は大石
  橋も制圧。同じころ第一軍や第四軍も行く手を阻むロシア軍を退けつつ、遼陽に迫っ
  ていた。こちらのほうは割と順調に駒を進めているように見えた」
歩「まあロシアの戦略は、ゆるゆると退却しつつ、満州の奥地へと日本軍を誘い込むとい
  うものでしたから、ある意味予定された行動だったと言えますネー」
榴「さあてそんな頃、旅順攻略担当の第三軍はどうしているかなっと」

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