いきつけの音楽喫茶にいくと、
ブルックナー、交響曲第4番「ロマンティック」
のライヴ映像が再生されていた。
(下野竜也指揮、オケは忘れた)
実にまじめ、誠実な指揮、演奏。
フォルテシモは良くなるが、うるさくなることはなく
美しい響きで、好感の持てる演奏であった。
(たぶんハース版だったと思う)
ただ、誠実に演奏すると、いいことばかりでもない。
この曲、長い、というか、冗長過ぎるのだ。
昔の演奏、フルトヴェングラーやクナッパーツブッシュは
いくつかの部分をカットして演奏していた。
あれは、
「カットしたほうが良い」
「カットせざるを得ない、カットしないと長すぎて退屈する」
という思いがあったのだろう。
カットすると「カットするな」と言われるだろうし
ノーカットだと「長すぎて緊張感が持続しない」と言われる。
この曲は、ブルックナー入門曲みたいに言われることもあるが
1番、3番などの若々しさや、7〜9番の圧倒的な傑作に比べると
過渡期的な感じもする。
昔は、よく朝比奈隆のブルックナーを聴きにいった。
5番、8番、9番。
いずれもいまだに覚えているくらいだ。
しかし、あの時は、ブルックナーがよくわからなかった頃や
ブルックナーの面白さに開眼した頃だ。
今だったら、あんなに熱い思いでコンサートに行くだろうか?
下野竜也のブルックナーは、いい演奏ではあったが
ちょっと老成した感じであった。
(ハース版は地味だ。クライマックスでシンバルを使わない。
シンバルを使うノヴァーク版のほうが効果的だ)
この曲が、ブルックナーの過渡期であるように
日本人のクラシック演奏芸術も、過渡期に入ったということなのだろうか?
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