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2016年09月18日09:12

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死刑廃止運動。遺族は死刑問題の当事者ではないし、世論を相手にしても始まらない。

このニュースは、弁護士ドットコムですが、
いろいろと疑問があります。
結論からいうと、対話するべきではありません。
それは、遺族であっても同じことです。
まして、頭のいかれた賛成論者を相手にしても始まりません。

要は、倫理道徳的な問題ではなく、学問的な問題だからです。
物理の問題の答えを、素人と玄人が議論して決めますか?
国会決議で決めますか?
おかしいですよ。

昔の、それこそプロレタリア革命という文脈でよく使われた、無知な大衆をリードする「インテリ」。これは今日でも役割があると思います。しかし、原発問題をみてもわかるように、インテリ(専門家)の行動が正しいわけではありません。このニュースにも端的に表れていると思います。問題にするべきではないところを問題にしているところが、引っかかります。

1「自分の家族が殺されたとしても、同じことがいえるのか」
なぜ、この言説の間違いが分からないか。
専門家ともあろうものが、こういう議論をしてはいけないと思います。
世間には確かに、死刑廃止運動をしていて、家族が殺された。そうしたら、死刑存置論者に変わったという弁護士がいます。
ただ、ぼくが言いたいのは、
「それが、どうした」
の一言です。
家族が殺されたという人は、相手を殺したいでしょう。当たり前の感情です。しかし、日本は私刑を禁止しています。犯人をなぜ、裁いて刑罰を加えるかというと、社会のためです。被害者感情は、あくまでも事件の一部であり、事件を評価するのは、社会です。決して犯罪被害者が評価するわけではありません。
つまり、犯罪被害者の家族は、当事者のように思えますが、実は、当事者性を全く失っています。
別の言葉に言い換えるならば、自分の家族が殺されたことと、犯罪者が人を殺したことは、全く違うということです。

2 八割? それがどうした?
たとえば、ガリレオが登場する前に、
「地球が動いているか、動いていないか」
という「世論調査」をしたとします。
「動いていない」が、圧勝することは疑いがありません。
正しいか正しくないかは、決して、多数決で決められません。
日本史に至っては、世論が正しかった試しはありません。ほんのちょっと前まで、「天皇陛下、万歳!」といって、特攻するのが正しかったではありませんか。
今回の問題も同じです。

たとえば、
犯罪者には人権はないとはいいますが、そういう社会思想の理論を聞いたことがありません。
どっかの、あまり勉強していないオヤジが口から出まかせで言っているだけです。そういう人が世間には多いから、多数派になっているだけ。
以前にも話しましたが、私が最も興味を持っている学問は、物理です。しかし、高卒の力さえもないので、議論しません。まして、専門家に「お前、頭大丈夫か?」式の罵声を浴びせるなど、とてもじゃないですが、考えられないことです。

皆さんのつぶやきを読むと、
人を死刑にしたくてしたくて仕方がない…という心理があります。

マイミクさんが引用していますが、
「まず、これから殺人を計画、あるいはする人は、誰でもかれでもではなく、死刑制度を反対してる人の身内を選んで頂きたい。以上。」
というつぶやきが代表的です。

世論というものは、こういう悪い意味で暴力的なものだと思います。
リアルでお会いしても話は通じないでしょう。
前に、何回か死刑廃止の日記を書いたことがあります。何回も存置論者の訪問を受けました。
判で押したように、挨拶もなくタメ語。論点スルー。

こういう人を相手にしても仕方がありません。

日弁連は、存置論者と議論するにしても、専門家や文化人や国会議員などの存置論者を「転向」させることに尽力したほうがいいと思います。


※ 趣旨を理解しない書き込みは、粛々として消去致します。



■「死刑廃止論」被害者遺族との向き合い方を議論「社会全体で考えるべき」
(弁護士ドットコム - 09月16日 11:22)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=149&from=diary&id=4196426
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