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2016年09月10日08:44

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日露戦争(27)

三「兵器の準備状況についても一通り済んだので、いよいよ戦争の経過についてや」
榴「1904年2月6日、日本はロシアに対して国交断絶を通達した。もうお前とは話し
  合いもしない。これからは実力行使あるのみ、という事実上の宣戦布告だわな」
歩「この国交断絶通知と同時に、東郷の平八つぁんが動いた。連合艦隊は開戦に備えて佐
  世保鎮守府に集結しておったが、2月6日の朝に出港。目指すはロシア太平洋艦隊の
  拠点、旅順港や。日米戦争における真珠湾奇襲攻撃と同じように、開戦劈頭の奇襲攻
  撃でロシア太平洋艦隊を潰してしまおうとしたんや」
三「2月7日には、ソウル付近の小青島という島まで進出。ここで連合艦隊のうちの第四
  戦隊が分離し、仁川港へと向かったんや。仁川港は朝鮮の首都ソウルの海への玄関口
  となる港で、色んな国の船がおる。当然ロシアの船もおる。それも軍艦や。ロシアは
  朝鮮も我が物にしようとしておったから。到底これを見過ごすわけにはいかない。と
  いうわけで、第四戦隊は仁川港に居るロシア艦の撲滅に向かったんや」
榴「本隊のほうは、更に北上して旅順港に向かって行った。2月8日旅順港の沖合約80
  キロの島に到着。夜になってから旅順港に奇襲をかけて、停泊中のロシア軍艦を魚雷
  攻撃で沈めてしまおうとした。日清戦争の威海衛攻撃と同じ手口デスナ」
歩「威海衛のときは水雷艇で行ったけど、今回の場合は駆逐艦を使いマシタ。日本の駆逐
  艦は21隻。イギリスに発注した16隻のあと、日本国内でも5隻建造してマス」
三「この21隻を5つの部隊に分け、3部隊が旅順港へ、2部隊は大連湾に向かったで」
榴「うん、だけど結局大連湾にはロシア軍艦は居なくて、大連湾に向かった2部隊もその
  後旅順港攻撃に加わってくることになるんだよね」
歩「旅順港に停泊中のロシア艦を夜襲で殲滅せよ、というわけなんだけど、ここで重要な
  のが旅順港の地形デス。旅順港は地形から来る事情で艦の停泊形態が独特デシタ」
三「画像の通り旅順は細長く突き出た半島によって、ほとんど湖と言って良いくらいの内
  湾になっている。実はこの内湾は水深も浅く、潮の干満差も大きいので、大型艦を湾
  内に停泊させると干潮時に座礁してしまうという問題点があった。なので戦艦クラス
  は普段は半島の外側に停泊してあったのじゃ」

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