『河神の誘惑』第6話
「サガの奴、三日と開けずにアケローオス河神とデートしてるぞ」
にやにやと嫌味たらしく笑いながら、カノンが教皇の間にあるアイオロスの私室で彼に言った。
射手座の職務と兼ねる形で新教皇に任ぜられたアイオロスは、サガが過去に大逆の罪を犯す以前から、サガと恋人であった。ところがそのサガは事務局長として聖域を出てしまい、アイオロスも多忙で彼に会いに行けず、という状況で、アイオロスの話相手は彼との腐れ縁の結果としてカノンが務めることが多くなっている。
アイオロスはサガの恋人であったが、彼に対して誠実であるとは言いがたかった。そもそも、サガを口説き落として恋人関係になったころから、彼の双子の弟であるカノンとも肉体関係を持っていた。少年時代のアイオロスと秘かに接触したカノンは、サガと同じ容姿と肉体をもってアイオロスを誘惑したのである。全ては、兄であるサガへのカノンの嫌がらせだった。双子座の影として隠された生活を強要されていたカノンは、己を抑圧する聖域に、そして自分を置き去りにして光の中で活躍を許された兄サガに反発し、その反発をサガの恋人を寝取るという形で表したのである。
そしてアイオロスは、カノンの誘惑に乗った。二人の関係を知ったサガは当然、衝撃を受け、嫉妬し、弟の行いに激怒したが、二人はその後もずるずると付き合い続け、それはカノンがスニオン岬の岩牢に幽閉されるまで続いたのであった。
いや、カノンだけではなかった。かつてのアイオロスは、聖域の内外で、男女を問わずに、手広く遊んでいた。一番愛していたのはサガではあったが、火遊びの相手には事欠かなかった。代々、優秀な聖闘士を輩出してきた聖域の名家の一族に生まれ、次期教皇との呼び声も高かったアイオロスと関係を持ちたい者は、聖域の中にも外にも数多くいた。謹厳なサガに比べればはるかに気易かったアイオロスに、皆は接近した。美少女や美少年を差し出すのは、もっとも手っ取り早い接近方法だった。アイオロスは意外に計算高い面があり、それらの好意や思惑を己の地位固めや人脈の形成に大いに利用したのだ。
サガは恋人であるはずのアイオロスの奔放な情事に思い悩んだが、思い切って別れることも出来ずにいた。聖域のためアテナのために有益と思えばこそ誰某と寝たのだ、と正当化されれば、大義のためにサガは引き下がらざるを得なかった。さらにアイオロスは、時にはサガをおだて、時には嫉妬心を煽り、時には対抗心をかき立てさせ、同じく教皇候補としてアイオロスにライバル意識を抱いていたサガの心理を巧みに操った。
今もまた以前のように、アイオロスに近付きたい人間は多々いる。正式に教皇になったからこそ、よりその数は増えていた。あわよくば縁戚の娘にアイオロスの子を身ごもらせ、産まれた子が次代の射手座となればその後見人の地位を得られないかと画策する者もいる。復活してからのアイオロスは以前ほどは手広くは遊ばなくなったが、それも身を慎んだというよりどちらかといえば単に忙しくて情事にかまけたり外に遊びに行く暇がなかったからで、女官を寝室に引き込んで伽をさせる程度のことは平然とやっていた。
サガは、そんなアイオロスを許容した。アテナ殺害未遂の大逆人に身を堕としたサガは、女神を救った英雄であるアイオロスを、以前にもまして厚く崇愛するようになっていた。自身の邪悪な行いからアテナと聖域と地上を守ったのは、アイオロスだったのだ。サガの目には、アイオロスはきらきらと光輝き、太陽のようにまぶしい存在に映った。アイオロスの行いは、全てはアテナのため、聖域のため、地上のためであると、サガは信じた。サガにとってアイオロスは、己が信じる正義の体現者だった。
新たなる教皇にして聖域の英雄、射手座のアイオロスは、そういう男だった。
「…ま、おれはサガがお前以外の男と付き合うのは大賛成だからな。あいつはもっと遊んだほうがいい。アケローオス河神なら、付き合う相手としては悪くない」
スコッチウイスキーの水割りを飲みながら、カノンが言う。
「いい男だぜぇ、アケローオスは。気前がいいし、気さくだし、優しいし。顔も体も一級品で文句なしだ。あいつが普通の人間だったらベッドで一勝負願いたいところだ」
「…カノン、お前、アケローオス河神を誘惑する気か?」
「バーカ。神と関係なんざもったら、あとでどんな面倒事が起きるか分かりゃしねーだろうが。おれはごめんだね」
つまみのサラミをカノンがかじる。
「それにあいつ、男には興味ねぇみたいだし。一緒に飲んでても、他の女に色目を使ってることがあるしな。そのまま女を口説き落として、おれたちとそこで別れて女とどこかに行っちまうこともあるし…。ありゃ相当に遊んでるなぁ。お前とどっちが…ってとこだ」
「そんな男をサガに勧めるのか?」
「お前よりはマシだ」
「……」
ばっさりとアイオロスを切り捨て、カノンが話を続ける。
「結構、面白い奴だし。ああ見えて、意外に芸術関係のことが好きみたいだ。この前はクラシックのコンサートに連れて行ってもらった。そういや、芸術の女神ムーサたちと付き合ってるって言ってたなぁ。ああ、だから歌や踊りが好きなんだろうな。今度はオペラに行こうってさ。食事と酒付きで。もちろん、払いは全部あいつ持ちだ。ま、あいつの趣味に付き合ってやってるわけだし?他におれたちが行きたいところがあれば連れて行ってやるとは言ってたけど、今のところおれは特にそういう場所もないし、あいつに付き合うのは別に嫌じゃない」
「……」
「サガも楽しんでるみたいだ。やっぱりああやって誘い出してくれる奴がいないとなぁ。あいつ、一人にしておいたら官舎に閉じこもってろくに気分転換もできないぜ。ああ、そうだ。この前は『大兄さんと呼んでいいぞ』とか言ってた。酔った勢いだけどな。妹も弟も山ほどいるから、今さら二人くらい増えてもどうってことはないとか何とか…」
「…サガの反応は?」
「まんざらでもない顔してたぜ。あいつ、おれに対しても、他の黄金に対しても常に『兄』の立場だったからな。『弟』扱いされるのは、新鮮で面白いんだろ」
「……」
「おれたちの両親の話も色々と聞かせてくれる。おれとサガを見てると、昔に戻ったようで嬉しいんだとさ。おれたちの両親ともあんな感じで付き合ってたんだろうなぁ…」
とにかく、とカノンは話をまとめた。
「おれとサガはそんなわけで、アケローオス河神と楽しくやってるよ」
「……」
むっつりと黙り込んだアイオロスに、カノンが唇の端を吊り上げた。
「妬けるだろぉ、アイオロス。自分の知らないところで、サガが知らない男とデートしてるんだぜ?」
「何を馬鹿な…」
アイオロスはウイスキーの水割りを入れたグラスを揺らし、もっともらしい顔で言った。
「サガの友人関係が広がるのは、おれもいいことだと思うぞ」
「…ふん、ほざいてろ」
下卑た笑みをカノンが浮かべる。
「アケローオスの奴は、サガに母親の面影を重ねてるみたいだ。まだおれたちの死んだ母親に未練たらたらなんだろうなぁ。今は男には興味ないみたいだけど、そのうちどうひっくり返るか…」
「……」
「あんないい男に言い寄られたら、サガだってその気になるかもなぁ」
「……」
「…どうだ、アイオロス、焦るだろ?」
「……」
「そういや、溜まってないか、お前?サガとはもうずいぶんとやれてないんだろ?」
「…カノン、お前…」
「おっと。おれはもうお前の相手はしないからな。抜いて欲しいなら、女官にでも小姓にでも勝手に頼め。教皇様なら相手には不自由しないだろう?お前の愛妾になって権勢を振るいたいって野心で目をぎらつかせてる奴は少なくないからな」
ふふん、とカノンがせせら笑う。
かつては兄サガへの意趣返しとしてアイオロスと関係を持ったカノンだったが、復活後は兄との仲が修復され、それに伴って彼はアイオロスへの執着を失っていた。
「カノン、おれを煽って楽しむな」
「ふん。いいザマだな、新教皇様。ま、これまで散々にやりたい放題やってきたんだ。サガに浮気されたって文句を言える立場かよ、お前が」
「…今度、サガが月に一回の定期報告に戻ってくる」
アイオロスはカノンの挑発には乗らず、あくまで真面目に事務的に答えた。
「アケローオス河神とのことは、サガにその時に聞く。アテナも言われたように、あの河神を味方に引きつけておけば聖域に有利に働くこともあるだろう。サガがその任を果たしてくれるなら、それにこしたことはない」
「…お前のその余裕ぶった面がいつまで続くか、楽しみにしてるぜ」
と、カノンはアイオロスの内心の動揺と焦燥を肴に楽しく酒を飲み、彼の嫉妬心を散々に煽ってから、最後はアイオロスを一人残して双児宮にと帰って行ったのだった。
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