ロシア空軍の空爆で怪我をし、顔中血だらけのシリア少年の映像が世界中のメディアに取り上げられ、ネット上には同情の声が満ち溢れていますが、BBCはシリア生まれのアメリカ人女性ジャーナリスト、リナ・アタールの論評を載せています。時間に追われた拙訳で申し訳ありませんが、ご一読頂ければ嬉しいです。
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顔中血だらけで救急車の椅子に座るシリア人少年の映像が世界中の同情を集めているが、これがただのネット上のチャットのネタの域を超えて
シリア内戦を終結させる運動にまで発展するのだろうか?
全身泥だらけで顔から真っ赤な血を流して座っているこの5歳のオマラン君のビデオを観た11歳の娘が「まるで彫刻のよう!」と叫んだ。
少年は全く動かず、虚ろな瞳で真っ直ぐカメラを見ている。と思ったら動いた!額を流れる血を手で拭って、じっと自分の手を見つめ、そして子どもたちがよくやる動作をみせた。ちょっとためらってから手を椅子にこすりつけたのだ。あなたの子どもたちが椅子にこすりつけるのは、ケチャップかアイスクリームかチョコレートだが、彼がこすりつけたのは真っ赤な血だった。
またもや世界中がシリアの少年の映像に衝撃を受けた。
オムラン少年は、ロシア空軍の空爆で倒壊した家で怪我したあとに、家族と共にシリア市民防衛隊ホワイト・ヘルメットにより救出された。反アサド勢力が占拠するアレッポ東部で水曜日の出来事だった。
かれの写真は世界中の新聞のトップを飾り、SNSで大きな話題のネタになった。
夏が終わりに近づくと、悲劇に遭ったシリアの子どもの映像が世界を震撼させ、あなたにシリアの悲劇を思い出させるのが恒例になったようだ。
三年前はダマスカス近郊で起きたアサド軍の毒ガス攻撃の犠牲になった子どもたちの映像だった。防空壕の中に横たわる傷一つなく青白い陶磁器のような子どもたちの姿だった。
昨年は内戦から逃る途中で船が難破し、トルコ海岸に打ち上げられた幼子アラン君の映像だった。真っ赤なTシャツに紺のショーツの可愛い姿が世界中の涙を誘い、シリア難民の窮状を代表するシンボルになった。
そして今年2016年のシリアの悲劇のシンボルは先日のオムラン君の映像だ。
毎年これらの映像は何百万の人たちにツイートされ、いいねを付けられ、シェア―され、世界中の同情を集め、支援団体には多額の寄付も集まるが、不運なことに、数日後、数週間後には映像も危機感も忘れ去られる。
アサド空軍とロシア空軍は相変わらずシリア市民に爆弾の雨を降らせ、
ISはシリア市民の自由を奪い暴虐の限りを尽くす。死者の数は増え続け、難民の危機はエスカレートする一方だ。
化学兵器による攻撃、樽爆弾、空爆、食糧難、虐待、強制疎開。2011年以来あらゆる卑劣な戦争手段がシリアの子どもたちを苦しめ続けてきた。
オムラン少年のようなシリアの子どもたちは、生まれて以来見てきたのは戦争だけだ。戦争が全てだった。冷酷な内戦の下に育った何百万のシリアの子どもたちにとって、現実は暗黒であり、未来はもっと厳しい運命が待っている。
家にいれば空爆やミサイルの標的になる。飢えや病気にさいなまれても、救ってくれる者はいない。学校に行くことも叶わず、第一に学校へ行く安全な道すら存在しない。
もし、かれらが家族と一緒に隣国へ避難したとすれば、家族を養う為に少年労働を強制される。
ヨーロッパへ脱出しようとすれば、途中で海難事故や強制収容所送りのリスクがあり、家族と一緒に安全な国に辿りつたとしても、差別やヘイト運動の標的になる危険が待っている。
シリアの子どもたちは、何処へ行っても嫌われ者だ。
今週の少年の一枚の映像も、この5年半の間、シリアで毎日無数に起こる悲劇の残像の一つに過ぎない。 毎日毎日シリアでは数多くのオムラン君が悲劇に遭い、その映像やニュースすらあなたには判らない。
そして、幸運だったオムラン君と違って、殆どの子どもたちは生き残れないのだ。
これはツイッターやSNSのネタではないのだ。この現実を戦争を終わらせる大きなうねりにしてゆく契機にせねばならない。
オムラン君は彫像のようにカメラをそしてあなたを見つめている。
何も言わず沈黙を守って。文字通り空爆ショックなのだろう。たった今起こった悲劇には沈黙が一番ふさわしいと悟っているのかもしれない。
そして、かれの押しつぶされた沈黙は、世界が耳を塞ぎ沈黙を続けることへの反響に違いない。
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