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2016年08月16日01:08

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「魔法少女まどか★マギカ 叛逆の物語」

すっかり忘れていた。
娘たちは当時劇場へ見に行ったのだけれど。

予想外と予想通りと半々だった。
かなり面白かった。
散々自分で考えた事の別の形での具現化されたストーリー。
表現の仕方だけが異なる。

ただ、どんな宗教を見ても、どんな思想を見ても、どんなストーリーを見ても、自分でたった数年考えても、数十年生きても変わらないものがある。



人間の場合、それで居られるなら構わないけれど、居られないなら考えたり見たりしない方が良い。
精神がただでは済まないのだろうな。
錯綜。
もともと区別なんてないのだから仕方ないけれど、日常生活を送る上での便宜的な区別がつけられなくなり、統合失調、分裂病に至るのだろうな。
別にそれは名前をつけただけで、脳の思考と精神が一致しなくなって居られなくなる。



今で言えば、物質と反物質。
反物質はこの世界が誕生した際、物質と同じだけの量が誕生したのだけれど、その瞬間に消滅されたとされている。

消滅。

もちろん、していない。
見えないだけだ。
見えないけれど在る。
昼の空にある星々と似ている。
人間の目には見えないけれど間違いなく在る。
目をつむっているのと似ている。
けれども確かに在る。

それで、別に在っても無くても良い。
この世界が善でも悪でもどちらでも別に良い。
それで在る事が答えだ。
消滅していてもいなくてもそうで在る事が答え。
地球のみに問わず、別世界、別宇宙、どれでも良い。
それらが無くても良い。
理不尽でも合理でも、誰かの思惑の内であっても、因果の外にあっても、なんでも良い。
ちょっと考えると誰もが辿り着く。
あとはやる事がなくなるので、その先にも生命として存在している間は、何かをしないとなあ。
物語同様、敵が居た方が楽だ。
更に、自分で創り出した場で自分を騙しているのも手だ。

もちろん、それらもなんでも良い、何もしなくても構わない。
はじまりと終わりがあっても、はじまりも終わりもなくても、この世界は構わない。
世界でなくても構わない。
実は何も存在していないとしても構わない。
それでどれだけの苦を背負い込もうとも構わないし、背負わなくても構わない。
人の感情に触れようが法に触れようが構わない。

誰でも彼でもがそんなところへ辿り着く。
そこに辿り着きながら、時代時代の社会性の中で便宜的に計り、生活を送る必要がある。

19人殺して「自分は死刑にはならない」こう『言う』事も出来てしまう。
アウシュビッツで大量殺戮の実行者の予定か段取りを任されていた主任だか少尉だかなんだかは、裁判で「自分は命令された仕事をきっちり段取り良く効率的に行なっていただけ」何が悪いのか? と言うニュアンスの発言をしていた筈だ。
まあ、その通りなのだろう。
数百万人も短期間で殺されなければならないとすると、効率良く始末しなければならなくなるのも当然だ。
特に不思議な事ではない。

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