不信任案可決必至とみて、辞職したのでしょう。
最後の最後まで、エゴと良いカッコしいのかたまりでした。
舛添の件で呆れたのは、
そのスケールの小ささと、魅力のなさです。
昔から、金、金、金と、金銭に生きた人はいました。
ところが、スケールの大きな人は、
たとえ悪事によって、世間の顰蹙を買ったり、刑事被告人になるということがあっても、
お金だけではない、得体のしれない精神的な広がりがあり、金以外のことともクロスオーバーしていました。
森脇将光も、
小佐野賢治も、
田中角栄もです。
森脇は、国政を動かしました。
反面、コンサートの失敗で進退窮まった山田耕作に金をポンと出したり、森脇文庫(本来は、手文庫の金を融通する金融業のことです)の仕事を、道楽の出版にまで拡張しました。
情報通で著名です。
手足のように使える独自のルートを、長期二わたって飼っておける度量があった人です。
小佐野は、
生家には家すらなく、一家で、神社の軒先で生活したことは有名です。
だが、
バス業界の近代化に貢献し、
物腰も落ち着いた紳士だったようです。
角栄に至っては、独自の資源外交を始めるほどです。
…まあ、悪人も、
普段はボールペン一本不正を行わないが、わいろは数億円取る
というスケールの大きさが欲しいですね。
舛添は、
往生際の悪さで、都政に千古の悪臭漂う汚名を残しましたが、
なぜ、明治、大正生まれと比べて、日本人のスケールはちいさくなったのでしょう。
悪人ですらです。
舛添都知事の辞職が正式決定
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=2&from=diary&id=4045262
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