職業の能力は、金をもらい、重い体験の結果、自分で選び取るもの。
ジル=ドゥルーズの言葉に、
「認識は出会いの正反対のものだ」
という言葉があります。
おそらく、
ヴァレリーの
「博識は我々を浅薄にする」
のバラフレーズだと思います。
芸術に対しては、この言葉は、正しいです。
たとえば、漢文を読む力と、その奥の仏教の悟りを覚る能力は全く別物で、
知識が付けばつくほど、精神性を失う…ということすらあり得るでしょう。
これから数回に分けて、
職人の教育がいかに、大学に馴染まないか…を述べてみたいとおもいます。
ある寿司職人A氏がいます。
Aさんの店の食器は、素晴らしいです。そんなに金がかかっていないのに、いい器なのです。
もちろん、Aさんは、市井の職人であり、美術史などには、無知です。
なぜ、センスがいいか。
簡単です。
銀座の久兵衛で修行し、
下積みのころ、
北大路魯山人の器の洗い方だったからです。
洗剤をつけてはいけないなど、独特な洗い方があるそうですね。
洗わせてくれるようになるまで、時間がかかったそうです。そうでしょうね。一皿数百万はくだらないでしょうから。去年一昨年入ったような、信用できない丁稚には触らせたくないでしょう。
魯山人についての、
美学美術史の講釈をどんなにうけても、鑑賞眼は養われません。
そもそも、大学の美術の教授に、魯山人を鑑定した人はいても、
魯山人の器を何回も盛り付けに使った、洗った
などという人はいないでしょう。
だからこそ、Aさんはセンスがいいのであり、
Aさんは、魯山人の器の美に関しては、教授よりも上だといえます。
■専門職業大学創設を答申 文科省、3年後の開学目指す
(朝日新聞デジタル - 05月30日 19:22)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=4018242
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