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2016年04月14日08:21

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軍艦史(57)

1853年から1856年まで戦われたクリミア戦争は、いくつかの新兵器が登場してい
る。前に書いたペクサン砲もその一つだ。その他にもクリミア戦争では海戦に大きく影響
をおよぼす新技術が使われた。

その一つは機雷である。クリミア戦争は大国ロシアの膨張政策を阻止する為に各国が色々
な方面で戦った。日本近辺でもカムチャッカ半島で英露が戦っている。その一つとしてバ
ルト海戦線があった。スウェーデンは英仏の参戦に乗じてロシアと戦い、その昔大北方戦
争でロシアに割譲したフィンランドを取り返そうとした。

しかし、参戦決定を議会で議決できずぐずぐずしていた。英仏連合艦隊はスウェーデン領
のゴトランド島まで進出してきていた。このときロシアがバルト海におけるこれ以上の英
仏艦隊の進出を妨げる為に機雷を使用したのである。これが世界初の機雷の実戦使用とな
ったのである。ちなみにこの機雷に使用された爆薬は、スウェーデン人のノーベルが製造
したものであった。

さらにもう一つ、今後の海戦に決定的な影響を与えるに違いない新技術も使われている。
それは電信である。艦隊行動では各艦の間の意思疎通が重要なことは言うまでも無いが、
これまでは旗信号に頼るしかなかった。しかし電信によって、より詳細な連絡をとること
ができるようになったのである。これは大きかった。

戦争の歴史を研究している学者の間でも、このクリミア戦争が近世と近代の境目と見る人
が多い。いよいよ軍事面では近代に入って行ったわけである。1853年といえば、日本
にペリーの黒船が来航した年である。クリミア戦争という近代戦の幕開けが起きた年に、
日本でも近代化のきっかけとなった黒船来航があったというわけで非常に感慨深い。

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