サービス業に就いていて、老若男女問わず、商売上客から「〜を調べてほしい」と問われ、調べる事がある。
調べる事が出来たなら連絡をし結果を伝えるのがぼくは普通だと思うのだけれども、これを調べるだけ調べて「調べましたか?」と連絡が来ない限り、自らは連絡をしない人が居る。
「調べてくれと頼まれたけれど、調べ終わったら連絡をしろと言われてなかったから」と。
ok、連絡をしてくれとは確かに言っていない。
商売上でなくとも、こう言う人は割と居る。
また、調べない人や調べられない人も、もちろん居る。
この人たちはまた素晴らしいのだけれども「調べてわからなかったのは自分の所為ではない」ので、むしろ、調べる前から「わからない」と然もわからない事が正しいかのように自信タップリに即答してくれる人も居る。
もちろん、別に「2020に戻る予定のはやぶさ2のミッションの是非」について問われているわけではない。
きちんと自身が就いている職業上必要な要素について問われ、それに対して簡単に「わからない」としてしまう人の事だ。
このレベルで、一度教えて出来ない人で、何度教えても、自分がどの様な立場に追い込まれても、意識の欠片も持てない人は、先天的に居る。
もちろん、そうではなく成長する人も居る。
どちらも居る。
これは人間が機器を用いないと赤外線や紫外線を見る事が出来ないのと同じ事が起こっていると思われる。
意識にも死角があって、その死角を埋められる能力を持たず、下手をすると指図(赤外線を見る機器を与えられても)をされても出来ないくらいな事が起こっている場合がある。
「赤外線を見る事が出来る機器だ」と言う事の知識は身についても「それをこんな場面で使う」と言う判断や決断は、教育や知識ではどうする事も出来ない。
それらを見て取って、どのような場面にその者たちを用いるかの判断が出来る者が、用いるようにしなければならない。
中間層が中間層を再生産しているとする『ならば』、「そうで良い」と言う判断の下にそうされているのだろうな。
■「東大まで行った人は教師にならない。中間層が中間層を再生産している」 現役東大生の発言で議論勃発
(キャリコネ - 03月14日 19:41)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=210&from=diary&id=3897873
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