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2016年03月10日00:02

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神の寿命について話していて

通常、通常なのかわからないけれども「神」は人の概念、人智を超えている存在であろう事から、寿命にしても、人の概念を超えたものであろう事を想像するのはたやすい。

もちろん、超えた事を想像するのがたやすいのであって、超えているものを想像するのは至難以上に、人である以上、人の観念を超えているものなので不可能とも言える。

ぼくは、2〜3000年だろうとしている。
何故なら、それ以前の神を知らないから。
少なくとも5000年以前。

もちろん、くどいけれども人の概念を超えているので、ぼくが知らなかろうが居るものは居て、様々な形態、もしくはなんの形にもなっていない神も居るだろう事から、たった数千年と言う事はないだろう、と。

確かにその通り。

数年前、やはり「神」について話していたコミュがあった。
その中でみんなが「神」について話しているのに、ぼくは、ぼく自身について話を進めていた。
するとある人が「何か勘違い、思い違いをしていないか?」と問われたので、思い返すと、ぼくはぼく自身の事を話していて、神の事など全く話していなかった、と言うエピソードがある。

けれども「神」の事を話していたのはわかっていたし、読んでいる。
字ももちろん読めるし、一般的な「神」のイメージや意味も知っている。
にも拘らず、ぼくはぼくの話をしていた。
ぼくは人が言う「神」は人の事だとしている。
世界を創造し、時空を律し、生命を誕生させ、人の行いを裁き、救われない者を救い、時には地獄に落とす。
正に人。
また、ぼくが「神」を話すならそれはぼくを指している。

とすると、ぼくは2〜3000年くらいの寿命になってしまう。

ちなみにぼくは、いわゆる輪廻とは少し違い、別に輪廻でも構わないのだけれど、死や誕生は単なる移行手段に過ぎないだけの現象で、もともと生まれたり死んだりなどしておらず、ずっと存在している、としている。
これがいわゆる無始だろう。
だもので2〜3000年くらいで済んだら幸いなんだと思う。
此処から外れる事が出来たら。
多分、何も外れられないだろうな。
証明も立証出来ないけれど、する必要もないだろうけれど。

ちょっとずつ方々で触れながら話を此処のところしていたのだけれど。

その外れられないものが軸になっていて、その軸を螺旋状に振る舞っているのが我々だろう。
その我々の振る舞いの中に、時折この様にして意識なり意思なりを持つ存在が生じる。
どの振る舞いが意識を持つかは不明だ。
螺旋状のある時に持つ事がある、と言う事だけは事実だろう。
バグと言っても良い。
衛生や彗星のようなものだろうな。
外れられない軸とは何かと言うと、存在はしていない。
存在していないけれども、軸が在ると言える。
それは我々が振る舞う事で成立する時空とも言える。
我々とは存在の事であり、螺旋状に振る舞う事を一言で「渦」と言うとすると、その渦の中心に棒が在って、その棒を軸に回っているわけではない。
水の渦と同じに力場があるだけで、棒が在るわけではない。
棒が

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