mixiユーザー(id:280973)

2016年02月21日11:39

237 view

『ディーパンの闘い』


 いま思うと、何だか これとおんなじような構成の作を観たような読んだような記憶があるようなないような(私の場合、こういう場合は「ある」)。身分を偽り他人を家族と偽って、ともに社会の片隅で密かに生きる人間たちのタイトな物語。時代劇にもあったような気がする。広い意味での逃亡者系。

 かつてはセイロンという国名で、紅茶の産地だというイメージしかなかったスリランカ。A.C.クラークが終の棲家に選んだ場所でもある。しかし、この島国もまた複数の民族が対立を続ける紛争国であり、兵士もいれば難民もいる。大勢発生する。

 多数派=シンハラ人(基本・仏教徒)=政府側
 少数派=タミル(タミール)人(基本・ヒンドゥーー教徒だがムスリムもいる)=反政府側

 シンハラもタミルもルーツを辿ればインドなのだろうが、シンハラのほうが早い段階でスリランカに土着化し、植民地支配したイギリスへの対抗上スリランカはシンハラ人の国という意識が生まれていった。一方タミルは数の面では南インド側に多く住む民族であった。イギリスは(シンガポールで華僑を優遇したように)意識的に少数派タミル人を同格に扱うことで、安定的な支配を行った。しかし、そのことが英国からの独立を果たしていく中で内戦の火種となったのです。大国インドに対する複雑な感情も手伝い、シンハラ人による政府はタミル人を迫害し、それに抗してタミル人はインド側からの支援を受け武力による長い闘争(分離独立が目的)が始まった。タミル・イーラム解放のトラ、LTTEというのがその組織である。

 ここから、実にヤヤコシイ経緯があって(溜息)、一度は両者が和解したこともあったんですが、結局シンハラ側がLTTE幹部を皆殺しにしてしまい無理矢理紛争を終わらせた。それが2009年のこと。

 政府側からテロリスト扱いされた挙句、家も家族も失ったタミル人の難民は無数。仕事も土地もない。母国のはずなのに還る場所なんてない。この辺がちっとも分かってない無知な人間(特に日本人)が多い。 

 この作品ではあまり細かいところまで説明されていないし、日本人には分かりにくいところも多い。とにかく主人公は元LTTEの兵士で、妻子を喪い、同様に家族を喪った若い女と女の子とを妻子だということにして、兵士であったことは隠し、難民キャンプからフランスにやってきた。パキスタンなど旧植民地国の人間にとって旧宗主国であるイギリスには親類縁者も多いし、言語的な障壁も低く、EU諸国の中でも経済成長の度合が高いこともあり、おそらく昔の大英帝国のプライド、後ろめたさも相まって、イギリスは多くの難民を受け入れてきた。映画に登場する難民が最終目的地とする場所が英国であることが多いのはそのせいである。主人公ディーパンの「妻」も親族が住む英国に行きたがっている。

 フランスの、いかにもガラが悪そうな地域のアパートの住み込み管理人になった主人公は、言葉が通じないながらも結構器用に仕事をこなしていく。「娘」は小学校に通い出し、最初こそ泣いて帰ろうとするが、やがて学校に馴染んでいく。「妻」はなかなか馴染まないが、ある家の老人の世話をし始めてその息子である男に気に入られる。しかし、ムショ帰りのその男の正体とはドラッグの大物バイヤーだった…。

 ディーパンが元兵士であることを知る「妻」は容易に打ち解けようとしない。彼のほうは彼女に惹かれ求めようとするのに。その二人の関係がようやく本物の夫婦に近づこうというときに、事件は起きて…


 最後の展開はブロンソン(週刊文春での芝山幹郎の表現)。










0 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2016年02月>
 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
2829     

最近の日記

もっと見る