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2016年01月21日22:57

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わが心に生きる五能線

前回の五能線の旅については、実は続きがあります。あまり長くなってもいけないし、性格が全く違うお話なので、今回続編として書くことにしました。

五能線の列車は驫木駅に到着したのですが、もちろんそこで旅が終わったわけではなく、私は終点の川部駅まで乗って行きました。

するとどこの駅だったか、驫木駅と同じような小さな駅だったと思いますが、素晴らしく美しい女性が乗ってきて、私の向かいに座ったのです。当時私はまだ成人式を迎える前でしたが、3回目の成人式もとっくに過ぎた今日になっても、あんな美しい人に出会ったことはありません。いや正確に言えば、私の妻の次くらいに美人だったかな?私の妻の次となれば、それはもう、ものすごい美人なのです。いやいやヨタ話はこれくらいにして・・・。

その女性は、どう見ても観光客ではありませんでした。地元の人です。そう言っては失礼ですが、日本の国内でも最も辺鄙な土地、そのホーム1本だけしかないような駅から、なぜこんな美人が乗ってくるのか、不思議でした。背はそんなに高くはないですが、何と言っても色の白いこと、肌のきめの細かいことは、驚くばかりでした。「抜けるように白い」とか「大理石のような肌」とかいう陳腐な表現しか思い付かないのが残念です。ふっくらとした頬の弁え難いほどの美しさ!身のこなしのこの上もない麗しさ!

ただ、これも古典的な表現「目の覚めるような美人」というタイプではありません。当時の基準に照らしての現代的な美人ではなく、むしろ古風な感じの人でした。目も美しいものの力はなく、憂いを含んでいました。あくまで直感的な印象ですが、あまり幸せそうな女性ではありませんでした。それが彼女特有の美しさを醸し出しているようでした。

どんな女性が美しいのか、人によってその基準は異なっているでしょう。私は断じて申し上げるのですが、いわゆる「面食い」ではありません。性別には関係なく、人の美しさは内面から自然と沁み出してくるものが本物だと思っています。それでも、今思い出してもこの女性は美しかった。そんな女性が、あたりに何もないような駅から、機関車も客車も廃車寸前の汽車に乗ってくる、そのギャップに、私はどうにも落ち着かなくて困ってしまいました。心臓の鼓動がその女性に聞こえてしまうのではないかと思ったほどです。

列車がいくつか駅を過ぎるうち、やがて海岸線を離れてリンゴ畑の中を進むようになると、ちょっとした町の駅に停まりました。するとその女性はついっと席を立つと、惚れ惚れするほど優雅に身を翻して降りていきました。

五能線に乗ったのは、あの時一回きりです。私は、現在の五能線には乗りたくありません。私にとっての五能線は、当時の姿のままなのです。与えられた仕事を黙々とこなす老機関車も、あの美しい人も、そのままで・・・。

私は別に何のつもりもなかったのですが、思わず彼女が降りた駅の名前を読みました。その名前は、それから45年を経てなお覚えています。

「板柳」・・・。
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