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2016年01月18日15:47

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他を知ることは

「他を知ることは、己を知ること」と言われることがありますが、本当にそうだなあと思ったのは、ドイツ語を習いに行っていた時です。

まずはドイツ語ってのは、不思議な言葉だと思いました。どんな名詞にもいちいち性別があるなんて、不便ではないですか?犬は男性、猫は女性、馬は中性というのは何となく納得できますが、スカートが男性でズボンが女性というのは?特別な意味があるのでしょうか?教師のことはLehrerで、男性名詞なので、女性の教師にはLehrerinという別の単語を使います。それなら、性別関係なく教師と言いたい時はどうするのか?Lehrerin/Lehrerと書いてあったりします。

そのうち、日本語というのも不思議な言葉だなあと思うようになりました。英語でもドイツ語でも、西欧語の単語はそのうちのどれかの母音を強く発音する「アクセント」があります。日本語ではどうなのでしょう。「箸」と「橋」は発音が違いますよね。西欧語式に考えれば、前者はhashiのa、後者はiにアクセントがあります。では「横浜」はどうでしょう。この単語にはoとaそれぞれ二つづつの母音がありますが、西欧語式にこの四つの母音に順番にアクセントを置いて発音してみると、どれも正しい日本語にはならないことがわかります。Yo´kohamaでもないし、Yoko´hamaでもないし、Yokoha´maも違う、Yokohama´も違います。強いて言えば最後のがマシでしょうか?でも、どうやら日本語のアクセントは西欧語のようにいずれかの母音を強く発音するのではなく、音の上げ下げという、別の構造のアクセントを持っているらしいです。

さらに日本語のアクセントで不思議なのは、同じ語がどこで使われるかによってその位置が移る場合があることです。「渋谷」も「千葉」も地名にも人名(姓)にもありますが、それぞれでアクセントが違います。しかもごていねいなことに「渋谷」と「千葉」とで地名人名のアクセントの移り方が逆転しています。「渋谷」は地名では尻上がり、人名では頭高に発音されますが、この関係が「千葉」では逆ですね。日本語を学んでいる外国人を悩ませていることでしょう。

皆様ご存知のように、英語の動詞には現在形と過去形があります。もちろんドイツ語にもあります。日本語にもあるように思われます。ここで「思われます」という表現を使ったのは、どうやら日本語では、英語のような西欧語において現在のことは現在形の動詞、過去のことは過去形を用いて表現するというほど単純ではなさそうだからです。文学作品などでは、主人公の過去の行動を描写するのに、動詞の現在形を用いている例は少なくありません。これは文末が「った。」ばかりで単調になるのを避けるためでしょう。西欧語では文法的に間違いになってしまうことが、日本語では許されるのは、ありがたいことです。おかげで、表現の幅が拡がるのですから。

しかし、次の例はどうでしょう。駅で電車を待っていると、何かの原因で電車が遅れているようでなかなか来ない。じりじりしていると、ようやく向こうから電車が近づいてくるのが見えました。そんな時、我々はどう言うでしょう?きっと

「ああ!やっと来た!」

と言うでしょうね。これは不思議です。「来た」というのは「来る」という動詞の過去形ですよね。でもまだ電車は駅に来ていないのです。近づいてくるのが見えただけで、電車が駅に着くのは過去どころか未来のことです。なぜ過去形の「来た」を使うのでしょうか。

きっと、なまじ外国語など習うと、その言葉の文法に自国語も当てはめて考えてしまうので、先のアクセントの例と同じようにこんな違和感も覚えるのでしょう。おそらく、日本語と西欧語は言語の構造そのものが違っていて、動詞の現在形とか過去形とか、そんな概念そのものが当てはまらないのかも知れません。

言葉はあくまで習慣であって、なぜ?と考えたって仕方がないのでしょうね。ドイツ語も不思議な言葉ですが、日本語も不思議です。ドイツ語を学ばなかったら、改めて日本語のことを考えたりもしなかったことでしょう。
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