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2015年12月23日11:43

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生体 心 移植

生体移植には主に皮膚、腎臓、肝臓、骨髄がある。
外国では主に死体移植が行われていて、日本では生体移植が多い、とある。

外国のデータは正直あてにならないけどな。
やってはいるけれど公のデータになければ、闇の中での出来事なので。
外国では日本ほど違法行為が別次元の出来事にはなっていない。
日本人は、少し違法行為に対して過剰ではある。
それを真面目と言うのだけれど。

生体移植、上記の移植でも色々と考えるところがあるし、脳死移植は一層決められるものではない。
遺族にとっては流れでそうなってしまう事が大半だろう。

心臓と言う臓器の生体移植について考える。

「法に抵触している」
心臓を提供しようとしている程の事、法など問題ではない。
「倫理に反する」
人類が他の種を蹂躙し、更には同種を蹂躙し続けている事でも倫理には反しているので、それも、既に問題ではない。
そもそも、それらは、勝手に言っている人間が居るだけに過ぎない。
故、そんな場合ではない。



決して失いたくない、取り返しの付かない人、我が子や妻、夫に、自分の心臓が適合するとわかったら?
その移植後の心臓の寿命が5〜20年程度だと言う事もわかっていたら?

(考へださなければならないことを
   わたくしはいたみやつかれから
   なるべくおもひださうとしない)
宮沢賢治

ぼくが物事を考える時や考えたくない時に必ず出てくる詩の一部だ。

こんな事を考えなければならなくなってしまった文明時代なんだよな。

移植しない理由を法や倫理に反しているから、とすれば心的には楽になるだろう。
楽になる人も居るだろう、と言う事。
ぼくはならないな。
決して死なせたくないのに、法や倫理を言う。
それは自分が死にたくないからだろう、決して死なせたくないわけではないな。
そして、先にも書いたように勝手に誰かが言っているだけの事がわかっているから。
人は、少なくともぼくは、それに乗っているだけでは無い事がわかっているから。
法や倫理は何も世界の理ではない、人が言っているだけに過ぎない事。
それを然も世界の理の様に振る舞っている人間が居るだけに過ぎない。
心臓移植をしても、この世界に生きている命の数は減らない。
今、目の前に、心臓移植の手段、方法、技術があって、自分の心臓が最も適していて、その相手を自分は絶対に失いたくない、自分が死んでも生きてほしい、それが最優先される場合、法や倫理を理由に行動を起こさなかったとしたら、間違いなく自分で自分の心を殺すだろうな。
殺心だ。
その後、自殺もするかもしれない、自殺しなかったとしても、働く気も失せ、残っている家族とも上手く行かず、生きて行く事が今後それ以上無い程に難しくなってしまうだろう。
なにをしているんだろう。
命の数がふたつ以上減る事になる可能性が高い。

そうすると、全力で生体心移植を進めるしかない。

もし、生体移植と言う需要が進むと、この世界から命の数は減るかもな。
移植された者も自殺を選ぶ事が起こりうると思われる。

それは、移植技術が存在してはならない根拠なのかもしれない。
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