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2015年12月16日00:06

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『ハッピーアワー』

 
 神戸という街は複層的である。大正期に急激に膨張し、阪神大水害、空襲、山を崩して海を埋め立てるという都市変貌、そして震災とその都度、街の顔を完全に塗り替えてきた。それだけなら日本の他の大都市とそう変わらないのかもしれない。神戸の特徴的なところは街の変化とともに、住民もかなりの割合で入れ替わってきたことである。開港以来、神戸は常にどこか「余所行きの街」であり「余所者の街」なのだ。港は人が往来する場所であり、留まる場所ではないゆえか。神戸(人)には大阪(人)とは違ってホットのようで変に冷たいところがある。

 神戸はまた実に緑の少ない街である。このことを神戸人は大震災が起きるまで意識するひとは少なかった。地震や火事が起こっても逃げ込む緑地がないのだ。仮設住宅を建てる場所もない…。古くは家康の都市計画により一定の緑地を保持してきた東京、実は寺町でもある大阪らと比べ、ただでさえ平地のない土地(平清盛がここに都を移したのは政治的戦略的意図があったからとはいえ、あまりにも無茶であった)に近代以降の急成長が輪をかけて、とても都市部に新たな緑地、公園を増設する余裕はなかった。その代償であるかのように、“市民の裏山”六甲山系の保全に力を注いだ。伐採で禿山と化していた六甲を緑多き山に仕立てたのは市民の手によるものだったのだ。阪神大水害や室戸台風の際のような水害を防ぐためにも山の保全は不可欠であった。

 こうして神戸にとって、港湾と土木は他都市と比べても大きな位置を占める産業となった。そこで必然的に登場するのが荷役請負業や人入れ稼業である。それはイコールやくざだということではないのだが、のちに暴力団と僭称される存在に変わっていく組織があったこともまた歴史の必然だったのである。

 どんな都市も複層的であるとはいえ、神戸の場合、過去を土の下に埋めるようにして覆い隠し覆い隠し、その上に何度もピカピカの街を作っていった。そういうホラーチックな感覚は例えば当地で育った黒沢清の作品によく表れている。水が溢れ常に湿っていて大地は安定しない。ひとは本音を漏らさず表層的である。しかしそれでいて、居心地が悪いだけでもないのだ。ひょっとしたら、戦前と戦後のある時期阪神間や神戸に住んだ水木しげるも、この土地の不可解さを感じ取ったのかもしれない。


 …というようなことを事前に頭に入れて、この作品を鑑賞していただければと(笑)。こういうこと、一度濱口監督とサシで語ってみたい(私、あんまりそういうことは思わない人間なんだけど)
 これは、阪神大震災から20年、3・11の声を遠くに聞いた今の「神戸論」でもあります。



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