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2015年10月26日17:33

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丸くなったり尖ったり

近所に犬がいると、とりわけ気付くのは、歳とともにおとなしくなるのと、愛想がなくなるのがいることです。若い頃は通り掛かるとやたらと吼えていたのに、歳を取ったらちっとも吼えなくなる犬がいるかと思うと、逆に人懐こかった犬が無愛想になって、知らん振りをする場合もあります。

人間にもこの両方のタイプがいるようです。壮年時代は何かと口うるさく言っていた人が、すっかり丸くなったり、逆に妙に尖った感じになって自分の主義主張を曲げず、天下国家を嘆いたり。これはどう見ても、前者のほうが人間として幅があり、大成したという感じを受けます。

私自身はどうであろうか、と考えると、残念ながら後者と思わざるを得ません。こうしてミクシイをやっていると、この人はなぜこんな馬鹿なことを言うのか!と暗然とさせられることが少なくありません。それは自分にとって少なからずストレスになり、それで腹を壊したりするのだから、勿体ない話です。

若い頃の私は、そうではなかったように思います。学生時代は、ラジオでしょっちゅう北京放送を聴いていました。中華人民共和国政府の、日本語によるプロパガンダ放送です。別に毛沢東思想にかぶれていた訳ではありません。毎日飽きもせず馬鹿げたことを言う、その馬鹿らしさ加減が聴いていて楽しかったのです。その例は書ききれないほど思い出されますが、そのいくつかをご紹介しましょう。

まことに荒唐無稽なことに、日本は軍国主義であるというのが、彼等の主張です。当時の中曽根防衛庁長官を非難して曰く

「日本の防衛庁長官で、軍国主義分子の中曽根康弘は最近、防衛白書、なるものを持ち出し、この中で、日本の軍国主義はまだ復活していない、などとわめき散らしています。これは全くの人騙しのペテンです!」

この下り、私は大笑いしました。防衛庁長官が、自国の軍国主義が「まだ」復活していない、などと言うはずがありません。それに、仮にも一国の国営放送ともあろうものが「わめき散らして」とか「人騙しのペテン」だとかって、良くぞそんな言葉を平気な顔をして使うものです。「防衛白書」の個所と「日本の軍国主義はまだ復活していない」の個所は、いかにも憎々しげに発音するのも愉快でした。さらには、防衛庁長官がこのように軍国主義の復活を躍起になって否定するのは

「銀百両を埋め、ここに銀百両なし、という立て札を立てるようなものだ」

と言うのです。これはなかなかうまいことを言うものだと感心しました。

嘘かまことか定かではありませんが、中曽根長官が「日本も自衛のための小型核兵器なら持つことができる」と発言したとかで

「やれ小型だ、とか、やれ自衛だ、とか言っても、核兵器は核兵器である」

ここでも、やれが付いた2個所は、いかにも嫌らしい感じに発音されていました。そう言う中国は、当時すでに核兵器を保有していましたから、どんなふうに考えればそんな言葉が口を衝いて出るのだろうか、と思うと、可笑しくって可笑しくって!

失脚した劉少奇という政治家も、始終非難されていました。放送中この名前が出る時は決まって声のトーンが下がり、暗〜い感じに読み上げるのです。しかも必ず、あたかも名前とは不可分の接頭辞のように

「裏切り者、敵の回し者、労働者階級の奸賊」

というのが付くのです。まるでこれが劉少奇という人の役職名か何かのようです。奸賊とは、人をボロクソに腐すのに、またずいぶん難しい言葉を使ったものです。

文化大革命や天安門事件等々で、中国の共産党政権がやった悪行非業の数々を思えば、そんな放送を大笑いして聴くなんて不謹慎ではないか、と思われる方もいらっしゃることでしょう。それでも私は思うのです。あの頃の自分は器が大きかったのだと。ミクシイでも、自分と著しく異なる意見に対して、どうしたらこんな言い草が飛び出すのだろう?と大笑いするくらいの度量があれば、もっとずっと楽しくなることでしょう。皆様にはそのようにされることをお勧めします。私も遅まきながら「丸く」なるよう努力します。
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