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2015年08月29日22:46

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『薫習ということ……禁煙を例として』

 仏教の深層心理学である唯識では、からだやことばに現われる一切の行為は、阿頼耶識と呼ばれるところの記憶の貯蔵庫に深く深く刻まれ種子のように眠りについていて、適切なときとところを得て刺激を受けると発芽し、再びこの現象世界に現われる……このように描き出しています。

 そして深層にある基底無意識であるこの阿頼耶識への一切の行為の刻まれ方は、粗いものではなく、ちょうど香りがいつの間にか着物にしみ込むように微細な微細な領域の出来事であると描き出されています……そして、このプロセスは、仏教の専門用語では「薫習(くんじゅう)」と呼んでいます。

 ……薫習というのは、たとえば、長い間、たくわんを漬ける漬け物桶として使われていた樽を、洗い清めて乾燥させても、近づいて匂いをかいでみると、やはり糠の匂いがそこはかとなく漂ってきているようなもので、この糠の匂いのようなものを習気(じっけ)と呼びます。

 そこでひとつ自分自身のエピソードを……それはタバコが落ちてゆくプロセスについてです。ぼくは20歳の頃からタバコを吸い始め、40歳頃に落ちてゆきました。吸っていたのはマイルドセブンなど比較的柔らかいタバコだったのだけれど、それでも1日に一箱以上は吸っていた時期があります。

 岡山に越してきてもう20年以上になるのだけれど、その前は京都に住んでおり、その最後の頃は植木屋でアルバイトをし、泥まみれになりなりながら身体を動かしていました。タバコが落ちていったのは、その京都時代の最後の年 1994年のことです。

 またタバコが落ちる直前の80年代後半から90年代初頭にかけては、よくインドのOSHOコミューンを尋ね、様々なセラピーやクリエイティブアート、瞑想を集中的にコミットしていた時期でもあるのですが、それらのすべての要因が絡み合ってのことでしょうか、

 1994年の1月のこと、ちょっと重い風邪を引いたことがきっかけとなって、何の努力もすることなくタバコが落ちていってしまったのです。(振り返ってみると、そばにいたパートナーのBhumikaがタバコがすごっく苦手なのに、ぼくがタバコを吸うことをジャッジせず、「止めって」とも言わず、そっと見守り続けてくれたことも大きな要因だったと思います)

 慢性的な喫煙者というのは、悲しいもので、風邪を引いてゴホゴホいっていても、タバコが止められないものです……ましてや、少し治り始めたら、すぐにいつもの喫煙量に戻ってしまう……。

 この風邪のときも多分そうなるだろうと思っていたのですが、不思議なことに、タバコを吸いたいという衝動が、その風邪をきっかけに、消えてしまい戻ってこなくなってしまったのです……止めようと努力したわけではありません。ぼくの意志はそれほど強くないので、努力して禁煙をするなどということは論外です……。

 風邪が治り、植木職人の職場に復帰したら、まわりは煙だらけなので、きっとつられてまた吸いたくなるだろうと思っていたのだけれど、他者がタバコを吸っていても、ちっとも欲しくならない……それは「もう十分だ、この経験はたっぷりした。もうこれでおしまい!」とでもいったような不思議な体験でした。そしてほんとうに枯れ葉が落ちるようにタバコがはらりと落ちていったのです。

 で、結果的に、その後は1本のタバコも口にすることなく、今日に至っているわけですが、もしもあのときタバコが落ちていなかったら、6年前、気管切開手術で声帯腫瘍を摘出した後に起こった呼吸器の合併症のひどさを鑑みるに、たぶんぼくは今生きてはいないだろうと思います……。

 ……でもシェアしたいのは、そうした幸運についてではなくて、タバコを吸わなくなってからも、その後も毎年、年の内にも何度かくり返し見ることになった夢の話です……。

 ……夢のなかで、ぼくは再びタバコを吸っています……そして「やっぱり禁煙を続けることができなかった、あんなにみんなに“タバコが落ちていった”と自慢していたのに、みっともない話だ」……と苦々しく思いながら、あのタバコの吸い過ぎで口のまわりがヒリヒリするような感触も生々しくよみがえってくるのです。

 夢から覚めると唖然としてしまいます……現実世界では、確かにその後1本のタバコも吸っていないし、吸いたいとも思わないし、もうタバコが落ちてからずいぶん時が経っているのに、それにもかかわらず、どうしてこんな夢をくり返し見てしまうのだろうか、と。

 このとき思い浮かんだのが冒頭に書いた「薫習」です……努力して落としたのではなく、ほんとうに枯れ葉が落ちるように自然に落ちていったタバコではあるのだけれども、それでもまだまだ潜在意識の深いところには「タバコを吸いたい」という微細な衝動が残っていた……そう思うのです。

 あれは6年半ほど前ことです……あけみちゃんに手伝ってもらって、夢のワークを行ったとき、タバコの夢とは別のもうひとつくり返しくり返し見ている夢に働きかけたところ、その反復される夢がピタリと止ってしまったことがあるので、自分でタバコをめぐる独りワークを同じように行ってみました……つまり「禁煙を破るという夢のモチーフ」を意識的にワークのなかで再現してみた(もちろん空想のタバコですけれど)」のです。すると、それから2度と「禁煙を破る夢」を見ることはなくなってしまいました……。

 「見惑頓断破石の如く、思惑漸断藕糸の如し」……これは禅のことばです。

 これは一瞬に閃く知的な洞察は、石を筋目に沿ってきれいに断ち割るように鮮やかなものだけれども、もっと細やかな情意を伴う思いを断つというのは、蓮根の糸を断ち切るのと同じようにむつかしい、……という、表面は切れたと思っていても実はまだまだ切れていない微細でしぶといこころの動きを指摘することばです。

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