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2015年08月16日01:27

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" ほんもの "

スピリチュアルなことなんて、
知らなかったから、

体験が全てだと
思っていた


なんだこの世界の
「わかっている病」は、

「わかっている」 という


もちろん、
その人もそのつもりで

だけど、全くもって
色違いのデタラメの

そういう雰囲気を
醸し出しておきながら
真実だと言う


ちゃんちゃら可笑しい
笑わせるなと思う

スマートで
感情的にならずに
淡々と語る

どう見てもいやしい感じの
ニセモノ全開の

なお、明らかに
ロジカルで
これと言い

あなた方とは違う
高尚な人種とでも
言うような


あまりにも滑稽な
姿ぶりに

馬鹿馬鹿しく思えた



馬鹿馬鹿しく
目覚めた者だと主張し、

その明らかな色のいびつさよ
それもまた滑稽で
面白いが

なんというショーかと
思う


それで、知らなければ
遅れてるとでも思い
同調し

なにそれがこうで
こうであると


もう、「論」は
いいかと


「感」で捉えてみよう


「色」で捉えてみよう



「音」で捉えてみよう




わからないのが、怖いのなら
わからなさに震える時

それは、" ほんもの " のようだ




クールで理解する
知性や、知識層は、


そういうことが苦手だ



耐えられないからだ



だからこそ、

その圧倒的な恐怖と

屈辱に対峙すれば


自ずと変化の奥にあるものが

見えてくるはずだ




生命に心が開ききるとき


目を腫らすほどの、

涙の中で感応する瞬間に


生命の爆発を目撃する


強烈な生命が溢れ出す



それは、クールに

理性で近づくんじゃないんだよ



その理性を叩き潰してしまえば




笑と共に進み出す



知性は、苦手なんだよ

この わからない
との対峙に


踏み込めば踏み込むほど


踏み込んだ足の不確かさに

心地悪さを味わう



心地悪さが

新しい立脚となり足となり


歩けるようになる




知性で近づいたものは、
完璧で非の打ち所がなくみえる



次は、それを完全に
置き去りにするんだよ



わんわん泣いてみる




知性が推し測れるのは
全ての事象を引き出しにしまい
素早く出す動作に近い



その知性がする
パフォーマンスを超えてみるんだよ



むせび泣きでもいい




知性がするパフォーマンスを
見たければ、


世の中の知識人と
呼ばれる存在たちを
見てみたらいい



素早く出し
素早くしまう



基本は、この動作だ




それよりも


もっとつまらない方
理性や知性が我慢ならない方に


突き進んでみる





圧倒的な


わからなさ




これに


理性で対峙するのは
容易ではないようだ



なぜなら、
それ自体をパッケージに包み




知性は、

わからないことが
わかった!と


冷めた顔して言うんだよ
一流のパフォーマンスするんだよ


手品師のように




わからないことに
居心地の悪さを感じたら



突き詰めてみる


知らないだけじゃないかと






そうしたら、


赤ちゃんを見つめてみる




何もわからない

赤ちゃんの自然さ





瞬間瞬間に強烈に
生きてる様



刹那的に
感情的になること




そのどれもが
瞬間的で迷いがない







赤ちゃんを見ると

命に溢れ


みずみずしく


可能性に溢れ




瞬間瞬間がリアルで



わかってない


に対峙するどころか


完全にひとつになっている




この不思議さの中に


本質を感じる




宇宙の始まりは

このようなものだったかも

しれないと思う




共通のベースを感じる


想いを馳せる




赤ちゃんを前にすると


知性のくだらない
パフォーマンスたちが


横で踊りだす




どうやら

いたたまれなく

踊り出すようだ



自分を突き出して

リスクをとる



なにも、わからない世界に

踏み込む




炎の次のカタチは
なんだろうか?



わからない




それでいい、
どこまでいっても




すました顔でなくていい
皺が寄り、頭を抱える




そんなものが


始まりでもいいと



思ってはみたが、



やはり、わからないので



面白い




知性は、暴れ出し


創り上げてきた


良く知る男は、姿を消す





舐められるのも承知で




ああ、



狂おしいほどに



強烈!!!!!






この空間の味わいは




砂で出来た果物を

噛むような口触りで

空間に慣れようとすると

慣れない絶望を知る



刹那、龍に乗る仙人に

出会うかもしれない




仙人の言葉は、

「未熟者」





言葉じりではない




それに耐えうるほど



無知を味わいましたかと



実践の経験を聴かされる




始まりの門は


なんと甘美で

砂のような砂利を噛むような味だ





それが、他の人と違うかも


しれないと思うとき


また、新たなわからなさを

知る




それは、深い



識る(しる)だ




私にとって、


まるで、



" ほんもの " のような味だ。

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