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2015年08月16日00:38

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貧乏自慢

戦後程ではないが、幼少期の貧乏自慢。

実際は、なんの自慢でも無いが、共感と言うか共通の経験を持つ昭和30〜50年代を過ごした者は多いのではないか。
思い出ではあるね。

たった10円30円のおこづかいを捻出する為に、ビール瓶やコーラの瓶を駆けずり回り、集めた瓶を酒屋(今では殆ど限られているお店だね)で5円(確かビール瓶)から30円(確かジュースの1L瓶)と交換してもらう。

また、その交換した瓶が片づけられた裏の倉庫なりなんなりから、時間を置いてかっぱらい、再度回収してきた振りをして、お金と交換してもらう。

今では交換賃のようなものはないだろうなあ、ペットボトルが主流だし、上記の様に酒屋が無い。

ジュースの1L瓶を買ってもらえた事が殆ど無かったので、駆けずり回って、瓶を探したのだよね。
普通に良いところの家(瓶が外に無造作に置いてある様な良い家)のおばちゃんに「この瓶ちょうだい」と言っていた事もある気がする。

カルピスなんて家にあった日には、日本人が最初にカステラを食った時くらい感動したんじゃないだろうか。

その10円や30円で手にした最高の贅沢はビックリマンシールだった気がする。
当時は5円チョコや10円のホームランバー、ラムネ一個、クリームソーダーの粉、20円のチューチューアイス、30円のアズキバー、野球チップス、50円のカップのアイス、70円のヤマザキパンのチョココロネ、肉まんシリーズ、100円のポテトチップス。
そんな。
家にあるのは、精々、団子やせんべえだったな。
あー、なんて言ったっけ、ワレセン? チョコの割れた奴とか、そんなんで十分って言えば十分だったし、ぼくには弟が2人居て、弟が欲しがると、弟にあげる方がぼくとしては満足出来ていた兄だったなあ。

ただ、お菓子やおやつはそうだったけれど、飯や肉は許さん。
ボッコボッコにしてでも、取る、そんな兄でもあった。

ちょっとしたステーキが食卓に並んだら「無理心中でもするんじゃないか、俺は死なないからな」と、祖母(祖父に育ててもらっていたので)に言った事がある。
ちなみに、実の母からは本当に貧乏で無理心中の相談を小五の頃に持ちかけられた事がある、その所為でもあるのだが。
もちろん、こうして生きているので、そんなのは一蹴し、そんな事でへこたれる事も、傷つく事もなかった。
正直、そんな事以上に傷ついたり、強くならなければならない事がたくさんあったからだ。

みんな、そんなんじゃなかったかなあ。

貧しいと子どもは持ってはいけない!?
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=116&from=diary&id=3537228
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