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2015年08月15日09:08

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紀州古座川旅行記(長文)

毎年夏休みは川遊びと決めている。今年は鮎で有名な和歌山県の古座川に8月10日から3泊4日で行ってきた。

新幹線を新大阪で、JR特急くろしおに乗り換えて約2時間半、白浜で降りてレンタカーで約2時間海沿いを走ると、古座川のやまさき旅館に到着した。

南紀の道は川沿いの道などに細い道があるため、車体の小さい軽自動車をレンタルするのがおすすめ。地元の人の車もほとんどが軽だった。

本州のほぼ南端であり、ここまで来ると、さすがに「遠くに来た!」という感慨に浸ることができた。宿帳を拝見すると、近隣の関西や愛知県だけでなく、埼玉県からも来ていた。

やまさき旅館は明治初め創立の老舗の旅館とのことだが、旅館にしては1人の宿泊客も多く民宿といってもよいほどのサービスグレード。

風呂場もそれほど大きくはない。食事は期待したのだが、まあまあ。田舎のせいか、食べ始めてから最後の食事が出てくるのが遅かった。

到着後、翌日は1日古座川で遊び、その翌日はレンタルカヌーで、1日遊んだ。

暑いし休みなので、頭がぼけている。何か不測の事態が起きてもいつものようには、頭が回転しない。毎度のことだが、小さな失敗やトラブルをいろいろやらかしてしまった。

カヤックの割引チケットを支払いの時に出すのを忘れたり、せっかく持って行ったカヤック用ヘルメットを現場に持っていくのを忘れたり、、、

いずれも後で、割引分1000円を窓口でキャッシュバックしてもらったり、カヤック用ヘルメットをショップに貸してもらったりして大きなトラブルなく切り抜けた。

もうだめかと思ったのは、レンタルカヌーでカヌーをしているとき、出発点の明神橋から、半分くらいカヌーで川下りをしたとき、パドルを川に流されてしまったこと。

幸いにも、500m下流でカヌーのインストラクターがパドルを拾ってくれていため、カヌーツアーを続行することができた。

川の水量が少なかったため、最悪、流木1本ででも艇をコントロールできたので、流木をパドルの代わりにしてゴールまでたどり着こうと考えたが、パドルを使った方が速度、操船性両方において格段の違いがあることは言うまでもない。

もともとパドルを流されてしまった理由は、浅瀬でカヌーをひっくり返して艇内の水を捨てようとしたため。これからは、川の中では、いつもと変わったことをしてはいけないと肝に銘じた。

それから川遊びの常識も忘れていた。

忘れていたのは、最初に古座川で水遊びをしたとき、ジョンをはいていかなかったこと。どこでもそうだが、田舎で川遊びをするときに、足や腕、胸など肌を大きく露出させていると、アブが攻撃してくる。
したがって、田舎で川遊びをするときはウエットスーツやジョンを着用して、アブの攻撃から肌を守る必要がある。2回目に古座川で遊んだ時は、学習してジョンを着用したがそれでもアブはうるさかった。。

それと、一昨年大井川に行ったときにも感じたことだが、持ち運びが面倒だが、川へは昆虫網は持って行った方が良い。川の中を掬うと運が良ければ魚が入ってくれるかもしれないし、宿で焼いて食べることができるかもしれない。


猛暑のせいか、古座川の水はそれほど冷たくなく、温くもなく、ちょうど良い冷たさ。水の音のほかは鳥の鳴き声や蝉の声が聞こえ、アブ攻撃がなければずいぶんリラックスで来た。

水が汚れているわけではないが、ビックリするほど透明度が高いわけでもなかった。透明度では一昨年遊びに行った、静岡県大井川の上流のほうが上のような気がする。

最終日は、歴史の勉強のため、串本の紀伊大島にあるトルコ館と日米修好記念館を訪問。前者は明治23年に起きたトルコの軍艦エルトゥールル号が串本沖で台風に会い難破した船員を助けてトルコ国民に感謝されたいう美談を顕彰した記念館。わが国最初の国際協力活動とも言われ、国際的にも評価が高いため、記念館への道も立派に整備され、それなりのお金をかけてきれいに作ってあった。
記念館からは、エルトゥールル号が座礁した岩も、割と真近に見える。軍艦が座礁した場所はそれほど沖合ではない。海上が平穏であれば、私でも泳いで岸にたどりつけそうな場所であった。

それにも関わらず500名近い犠牲者を出した理由はおそらく軍艦が転覆したからであろう。韓国の修学旅行生が乗ったフェリーが転覆して多数の犠牲者を出した事故と同じ構図ではないか。

海中の水圧で船室のドアが開かなくなって多数の犠牲者を出したのではないか。

台風の最中に船を出すなどということは、軍艦を操船する船長としては、あるまじき行為である。船で日本に来るのであれば、当然、軍艦の船長は、台風を含む日本の気象に関する知識は持っていなければならない必須の知識であり、軍艦の船長の判断ミスは 日本の刑法であれば「業務上過失致死罪」に相当する重罪である。
しかし、この船長の判断ミスが、今に続く「日ト友好の輪」の原因を作ったとすれば、「禍転じて福となす」のひとつの具体的な事例といえるだろう。

日米修好記念館は、ペリーが浦賀に来航する62年前に実は、米国の商人が、ラッコの毛皮を売りに、串本の紀伊大島に来ていたという話を紹介した記念館。こちらの話は、表向きは、船が串本に来た理由が「船が難破したため(実際は通商のため)」ということになっているため、正史にはなっていないとのこと。
  
日米修好記念館から海岸まで遊歩道が整備されており、遊歩道から、紀伊大島の海岸の岸壁の絶景と太平洋の大海原の絶景の両方を堪能できる。

当たり前だが、紀伊大島から太平洋方向には島がひとつも見えない。大海原だけ見える。太平洋の水平線がややカーブがかかった一直線に見える。(写真右)

ここは本州で地球の丸さが実感できる数少ない場所の一つである。

古座川は、流れが緩やかなため、カヌーの素人でも安全にカヌーを楽しむことができる。ファミリーで小さい子どもと一緒にカヌーを楽しむには最適の場所である。

鮎の川として有名な古座川だが、意外にも、鮎料理を食わせる食堂が見つからなかった。(旅館の女将にそのことで不平をいうと、最後の朝食に鮎の干物を出してくれた)

写真左と右は古座川の写真。

防水パッキン劣化のため、デジタルムービーカメラが壊れていることを現地で気づいた。デジタルムービーカメラが壊れたので、古座川の動画をデジカメの動画機能で撮影した。静かな日本の川を楽しんでいただけたら幸いである、

古座川の動画はこちら
https://youtu.be/-Gv6nDWlNeU
https://youtu.be/OTJDMIh_D1k

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