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2015年08月05日19:04

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非常に、あいまいな、しるし方

虚空として
虚空を捉えれば

虚空を感応する


ヒトとして、
知識人として、

理解者として、

捉えようとすれば


自分の枠の内側を
結局は捉えている



理解者は、
強烈にわかったと言うが、

わかれば
何ひとつわからいのかもしれない

理解者は、
存在しえないのかもしれない



よき理解者は、
決められた器を持つ


器は、茶器のようで
決まったカタチを
持っている


わかったとは、
茶器のカタチに精通すること



精通しなければ、
何もかもが白紙であって

なにもわからないようだ



個から捉えれば、
個からの限られた視野になり

個からの限られた視野に
精通できるが


その枠の外には
届かない



茶器を捨てれば
なにが残るだろう?



なんとも掴み違い空間




そのえもいわれぬ感を

そのままにしたいだろうか?



いいや、茶器を
用いて

推し量ろうと
するだろう




推し量ろうとすること

精通すること


を投げだせば、


赤ちゃんのような

無垢さが残るかもしれない



その無垢さは、


空間に感応し


総ての可能性を


内包しているように見える




赤ちゃんに
可能性を感じるのは


何か特別なことが
あるんだろうか?



頭の固い大人

としてイメージされるものは、



なにかの茶器の

器だろうか?


そして、

硬さと死の近さ


のイメージもまた

寄り添っているのだろうか?




完成された美もまた

美しいが


美を養う空けの空間が
あるからのように思える





個から無になろうと

やっきになる

求道者は、



大切なことを
逃しているのかもしれない




無と個は、

やっきになれば
極端になれば

さらに強まるかもしれない



それを理解する
理解者もまた

賢に欠くように思える



個も無も


ひとつのものだとしたら、

その間には


何の努力もなく



均衡が保たれている





そして、その均衡は



朝と夜


のようにどちらにも

傾かないが



朝と夜

どちらも存在させる




この器の広い

器なき器が


宇宙を存在させるようなぐらい



広い懐(ふところ)のなかで
養われている


いや、


細かい細かい

ミクロな世界もまた



そうかもしれない




また、順繰りに戻る



なにひとつ


手すりがないような


不確かさと




なにもかも総てが


手すりがあるような


確かさと




その背景にある総てと



それ以外の総て




この総てを


創り出すものは


何だろうか?




非常に、

あいまい

だけど


柔らかく

確固としていて

枯れていて

みずみずしく



二極のようでもあり

三極のようでもある


八極かもしれない



それは、


とらえどころがなく


理解者はいない



そうすると


総てがとらえどころがあり



強烈な



生命の産声が

聴こえるのかもしれない





ある伝承のなかでは

それはあったか

なかったかも

わからないが






強烈な生命の産声は、

生に影を落とす




その生命の産声を

聴いた者は

前よりも



トータル(総て)

に対して


スムーズに生きるのかもしれない




道の妙さは

目の前にあり


その目の前を

創り出す存在のなかには


なにが見えているだろうか





ましてや

道を操る妙さは、


それにもましてまた

奇妙なようだ。
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