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2015年06月18日01:54

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学生側より企業風土のモノカルチャー化という問題が…

一流大学の成績上位でないと入れない企業
なんてのは昔からあったけど、
企業組織の永続的発展と
変化への対応という方面から見た場合に、
「学フィル」はむしろ害になるのではないか?という気がする。

昨今のビジネス界では
「ダイバーシティ」(多様性)の重要性が
さかんに叫ばれている。
性別・人種・民族・国籍など
できるだけ多種多様な方がいいという考え方である。

自然界においても、
多種多様な種が存在する環境の方が、
天変地異に遭遇した時などに回復が早く、
環境の変化があっても崩壊しにくいという。

たとえば杉や檜とかの単一種の植林と
雑木林を比べると、
経済効率からすれば単一林のほうが優れているが、
台風などの自然災害を持ちこたえたり、
被害から回復したりする点では
雑木林のほうが優れている。

学歴フィルターで
限られた名門大学の学生を選別して、
日本という一国内の、
同じ大学卒で
同一の大学文化の中で育った学生ばかりを集めて
社員を画一化、モノカルチャー化するということでは、
国内外における想定外の異変に
上手く対応できるのか。

というか、
いざとなったら
異変や変化に対応しうるかもしれない者、
大多数の者が思いもよらなかった物の見方をして、
予想もつかないイノベーションを起こすかも知れぬ者を
容れておくことができるのか……?

知らぬ。

おれは企業人ではないので、
プロの企業人から
「そんなこたぁ別にどうでもいいんだよ!」
……と言われたら返すことばがないし、

就活生でもないから、
「あのね、おれに関心があるのは
組織に潜り込んでサラリーをもらえるかどうかだけなの。
あんたみたいに企業文化がどうとか、
変化に対応できるかとか知ったこっちゃないの」
と言われてしまえばそれまでなのだが。

そんな就職希望者ばっかり集めた企業に
将来があるのかどうか……。

知らぬ。

ところで、
一流大学の成績上位でないと入れない企業
なんてのは昔からあったけど、

数十年前、おれの父やおれ自身が新卒だった頃に
一流大卒しかエントリーを許されなかったような
花形企業が、
十数年か数十年か後にふと気がついてみたら
経営破綻してニュースネタになっている
なんてことが珍しくない。

一流大卒の人材を集めておいて
なぜこういうことになるのか。
あの時首尾よく入社できた人たち、
その中でも特に優秀な人たちは
十年二十年経ったら会社の中核を担う立場についていたはず。
あの連中はいったい何だったのだろう。
そして、一流大卒の人材を集めておきながら
むざむざ会社を潰してしまう経営陣って一体……。

知らぬ。

―――――――――
■「学歴フィルター」はそもそも問題なのか?
(THE PAGE - 06月17日 17:01)

混迷を増す就活戦線

 今年の就職戦線は学生側の売り手市場といわれますが、内実は思いのほかに厳しいようです。就活解禁は例年よりも遅い3月でしたが、その後は各社の足並みが揃わないまま進行しています。そのため就活生たちは「内々定」「滑り止め内定」を得てからもなお、様々な規模と業種を視野に入れて終わりなき転戦を強いられています。

 そんななか、採用側の一部企業がこっそり「学歴フィルター」なるものを設定しているのではないかと話題になっています。セミナーや説明会というファースト・コンタクト時に、大学名で学生を選別していると就活生側が問題視しているのです。なお大学名による序列は学校歴と呼ばれますから、正しくはこれは就職活動の初動段階での学校歴による人材選別というべきです。

 そもそも学校は人材を序列付け振り分けるための公的システムです。学歴に基づく選別は採用側と応募側のマッチングを効率化するには必須です。実際そのために非大卒層は大卒新規労働市場から締め出されています。学歴というものは、そもそも仕事を効率よくみつけるためのフィルターに他ならないのです。

 昨年の四年制大学の卒業者数56万人のうち、就職希望者はおおよそ41万人でした。その数は今年も大きく変わっていません。現在の若者たちの同年人口の総数はおよそ120万人ですから、大卒新規労働市場はその三分の一に一挙に初職を割り振る巨大なイベントです。しかし、四大卒層がここまで多くなると、大卒枠という大きな括りではフィルターとして機能しなくなります。

 この10年ほど企業の採用部署は、応募者一人ひとりの特性を見極める方針を前面に打ち出しています。けれども新卒労働市場に入ってくる40万人がみな同じ水準の人材であるとみなして、そこから自社にマッチする人材を探し出すというのはたいへんな困難なことです。にもかかわらず企業側は採用に至らないであろう応募者にも丁重に対応をしていますし、学生の側もその分だけ多くの企業と接触を繰り返すことになります。就活期間の長期化の一因は、こうしたマッチングの悪さにあるといえます。


大学名に加えて個性をみる時代

 学生向けの就活情報媒体では「大学名だけで評価される時代は終わった。一人ひとりの就活力で勝敗が決まる」と決め手としての個性が強調されています。一流大学に入学しても、就職活動がうまくいかなかったり、下位大学の出身者に逆転されたりすることは実際にあります。入学した大学は変えられませんが、個性ならば在学中に伸ばすことができますから、大学生にしてみればそこに期待して自分を磨くわけです。

 ただし昨今いわれている個性重視の内実は、大学名に代えて個人の資質が見極められるようになったということではなく、大学名に加えて個人の資質まで見極められるようになったということです。企業側は本音では大卒層40万人が一様だとは決してみてはおらず、表立ってはいわれなくても大学ランクはやはり有効です。

 就活生の側の言い分は、「エントリーのチャンスくらいは平等に与えてくれ。門前払いは不公平だ」ということです。各社の人事担当者は一見とても優しく丁寧に、就活生を「お客様扱い」しますから、客として買い物をするときと同じように、平等に扱ってくれるものだと考えるのかもしれません。しかし就活生は3年前ほど前には、わずかな入試偏差値の差に敏感な受験生であったはずで、その時点では大学名によるさまざまなメリットの違いがあることを前提に、激しく競い合っていたわけです。にもかかわらず、就活は一斉に横並びでというのは矛盾があります。

 採用にあたって「学歴不問」を明言して、それをコーポレート・イメージとしている企業が「学歴フィルター」を設定しているとすればさすがにそれは問題です。けれども営利企業が正社員を選ぶ大切な局面では、温情とは別の判断がなされるのはいわば当たり前です。翻っていえば、見込みのない企業との接触が思わせぶりに進行してから結局切られるよりも、はじめにバッサリ切られるほうが痛手は少なく、自己分析をして戦略を立て直す契機にもなるといえます。40万人が人生を賭ける就職活動が、小中学校の学校行事のようにみんなに平等で公平なイベントであるべきだと考えている学生がいるとすれば、それは少し残念なことです。

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吉川徹(きっかわとおる)
大阪大学人間科学研究科教授
専門は学歴社会論。著書に『学歴分断社会』などがある。

http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=177&from=diary&id=3471447
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