ぼく自身は、確か14、5歳の時に考え終わっていて、考えようとしても特に考えられない。
けれども、良く見掛け、良く聴く設問なので、その都度考えている。
ちなみに「意味」とは物事に対しあとから付けているものと言う事はわかっている。
付けなければそれはそれなだけだ。
単なる「意味」と言う物事は存在しない。
「『〜』の意味」「『この』意味」
『 』内が物事そのものだ。
「『意味』のこれ」
「『意味』の〜」
と言う成り立ちはありえない。
『〜』の意味に「生きる」を当てはめると、『生きる』意味。
となる。
つまり『生きる』と言う物事にあとから意味をつける事になる。
そもそも、すべてにははじめから意味などなく、あとから自由につけられる。
誰かがつけてしまっている意味を見て、教えられて安心している事が、ある日突然、自身の手で自分の人生に意味を付けなければならなくなった時に、その自由さに恐怖したり、絶望したりするのが、この設問なのだろう。
これは探す事ではないし、探してあるものではない。
自分で付けるだけの事であり、付けなければいつまで経っても無い。
教科書は教えてくれない「生きる意味」についての名言
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=101&from=diary&id=3372300
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