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2015年02月22日23:36

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これ1曲でヴェガスにも行けた

 
 Not Now というリイシューレーベルの仕事の幅と量には、感心する。 詳しいライナーとかないけど、企画や選曲がけっこうシャープで、何よりも安価。
 だから、ついあれこれ手を出してしまうのだが、こんなものまで出されてしまうと、やはり驚く。

 Don't Fight It, Feel It Gems From The Sar Vaults 1959-1962:
 http://www.amazon.co.jp/Dont-Fight-Feel-Vaults-1959-1962/dp/B00SW8W8FC/ref=sr_1_1?s=music&ie=UTF8&qid=1424605161&sr=1-1&keywords=sar+recordings

 2枚組、全40曲。
 ソウル・スターラーズやL・C・クック、ヴァレンチノズの収録曲は、最近のリイシュー盤と当然ダブるけど、シムズ・トウィンズやジョニー・モリゼット、ジョニー・テイラー、ジャッキー・ロス、カイロ・ターナー (元ピルグリム・トラヴェラーズのリード歌手) といったところも入っていて、税込み千円ちょっととなると、やっぱりその手のもののファンは、手を出してしまうよね。
 
 さて、ソウル・ミュージックの先駆けともいえるゴスペル・カルテット、ソウル・スターラーズのリード歌手列伝の3回目。 思わぬ長講になったけど、今回で締めくくらないと。

●この前は、ジョニー・テイラーに替わって、フロリダ生まれのジミー・アウトラーが、ソウル・スターラーズのリードになった、というところまでだった。 この人とポール・フォスターが芯になった吹きこみが、Sar時代の中心で、そしてそれは、ブルック・ベントンのバラードのカヴァー、「ルッキング・バック」に典型的なように、ソウルファンにとっても聞き応えがあるものだった。
 プロデューサーのクックが、ゴスペルのソウル化の方向へ、舵を切っていたからだ。
 そして、アウトラーは、クックの期待に十分応える喉を持った、骨太な歌手だった。
 しかし、1964年に上の曲を吹きこんだあと、グループを離れ、代わりのリードとして、ジェイムズ・フェルプスが加入する。

 アウトラーは世俗音楽に転向、Sensational Six というグループを率いて活動し、ソロ歌手としてデュークからシングルを1枚出している (1966)。
 これはヒットしなかったが、70年代に、英国のいわゆるノーザンソウル・シーンで、好まれる曲になった。

 JIMMY OUTLER - IT'S ALL OVER:
 https://www.youtube.com/watch?v=HG4MnUCrIp0
 
 このシングルのあと、NYをホームベースにするスターラーズ・タイプのカルテット、ブルックリン・オールスターズに加入したという。
 しかし、もと農園の果実摘み労働者だったアウトラーは、「世俗の楽しみ」が大好きだったということで、1967年、女性をめぐっての喧嘩の最中に、ナイフで刺されて命を落とした。
 そういう経緯に引きずられてだと思けど、あるスターラーズ関係のサイトの、リード歌手の代々が列挙されているところに、「Jimmy Outlaw 」と誤記されていたのは、いかにも可哀想だと思った。 ほんとに、いい歌手だったのに。

 Praying Ground - The Soul Stirrers (Jimmy Outler) :
 https://www.youtube.com/watch?v=nC2FTOy0OOc

●ジェイムズ・フェルプスは、のちに、ジュウェル・レコードの所在地として知られることになるルイジアナ州シェリヴポートの出身、10代にシカゴに移る。 クレフス・オヴ・カルヴァリーの創設者兼リード歌手だったほか、ルー・ロウルズがいたゴスペル・ソングバーズや、ホーリー・ワンダーズに在籍していたこともあるようだ。
 これもクック系のとてもソウルフルな歌手で、クックが64年に急死して、Sar が瓦解しなければ、グループの正リードとしてもっと、優れたソウル・ゴスペルの録音を残しただろう。

 James Phelps with the Soul Stirrers Free At Last:
 https://www.youtube.com/watch?v=lAWUHplg5gQ
 James Phelps with the Soul Stirrers His Precious Love:
 https://www.youtube.com/watch?v=HnN3RpLx1j0

 ついでに、1962年のクレフス・オヴ・カルヴァリー時代の録音で、その”ハードなクック”ぶりを確認しておこう。
 Soul Singer Mr. James Phelps and The Clefs Of Calvary. These two songs was recorded in 1962:
 https://www.youtube.com/watch?v=5aJFmiiRGww

 フェルプスは、クックが亡くなった次の年、1965年に、ボビー・ブランドの曲をクックが歌った、みたいな感じのこの曲を、チェス系の Argo に吹きこんでヒットさせた (ビルボードのR&Bチャート12位)。
 「LOVEって、5文字の単語だよ、だって、M-O-N-E-Yって綴るんだから」という、ユメもチボーもないこの曲は、その後70年代に、ジミー・ウィザースプーンにカヴァーされ、彼の最後のチャートヒットになっている。 

 James Phelps Singing "Love Is A Five Letter Word":
 https://www.youtube.com/watch?v=j_E5vZB-naM

 フェルプスの没後、『ローリング・ストーン』 誌 (!) に載った記事によれば、フェルプスは、スターラーズと一緒に、チェス系のチェッカーに移ったあと、グループに在籍したまま「ラヴ・イズ〜」を吹きこみ、それがヒットしたので、スターラースを抜けて世俗歌手になったのだという。
 http://www.rollingstone.com/music/news/soul-singer-james-phelps-dies-at-78-20101029
 この曲1曲で、世俗歌手としてやっていくことができ、ラスヴェガスのクラブに出たりもしたそうで、ゴスペルに戻ったという情報はない。
 2010年10月に、カリフォルニアで病没。 享年78歳。

●クックが亡くなって Sar がなくなり、スターラーズがチェッカーに移った前後に、スペシャルティ以来の重要メンバーだったポール・フォスターも、牧師になるためにグループをやめた。
 この人もやはりシェリヴポート生まれで、しかし西海岸へ移住。 ライジング・スターズやゴールデン・エコーズ (死後じつは女性だったとわかった強烈なシャウター”リトル・アックス”・ブロードナックスがリードの) といったカルテットを経て、1952年にスターラーズに加入した。
 60年代半ばから、カリフォルニア州ヴァレーホのバプティスト教会で牧師を務め、1995年に同地で、75歳で亡くなった。

●というわけで、チェッカーに移ったスターラーズは、クックマナーのテナーと、フォスターに代わるバリトン・シャウターを、調達しなければならなくなった。
 その任に応えるべく加入したのが、ウィリー・ロジャーズとマーティン・ジェイコックスの2人。 2人は、たぶんクックやフォスターよりも長い期間にわたって、グループの名前に恥じない仕事をしたと思う。
 
 Nobody's Child - Soul Stirrers:
 https://www.youtube.com/watch?v=47Ta1hPpIRk
 Soul Stirrer's Medley - Martin Jacox, Will Rogers & Company:
 https://www.youtube.com/watch?v=HV5OM3pRSAc

 ただ、ウィリーは、1971年に一度スターラーズを抜けてソウル歌手になり、ジュウェル系のRonn に、この曲とそのB面の「テネシー・ワルツ」を吹きこんだりする。 1980年にグループに復帰して、その後は不動のメンバーに。 
 
 Willie Rogers - Wake Up - 1971:
 https://www.youtube.com/watch?v=eJD3ZOP-4QI

●ウィリーが抜けたあとのリードは、たぶん、エディ・ハフマンだったはず。 でも、このころから、メンバーがよく分からなくなってくる。
 というのも、70年代に、グループは分裂し、”唯一のオリジナルメンバー”のJ・J・ファーレーが率いる The Original Soul Stirrers と、クックと親しかったクリューム兄弟が中心の The Soul Stirrers of Chicago, ILL. の2つのスタラーズが活動するようになるからだ。

 マラコなどで録音したファーレーのグループのほうにジェイコックスは参加し、アーサーとリロイのクリューム兄弟は、たぶんエディ・ハフマンを連れて行ったはずだが、そうすると、”オリジナル”のほうでその穴を埋めたのは、だれだったのか (ジャッキー・バンクス?)。
 クックやステープル・ステープル・シンガーズのだれか (パーヴィス?) と同級生で、オーティス・クレイとも親友だったというギタリスト、リロイ・クリューム (昨年10月没)が、ずっとクリューム兄弟のほうのスターラーズにいたのかというと、そうでもない。 彼も、テレビのゴスペル番組のホストになったりして、出たり入ったりしているようだ。 ほんとに、こういうグループのメンバーってややこしい。
 とにかく、こっちのスターラーズは、ジェイムズ・デイヴィスやルーサー・ギャンブル牧師、そして、シカゴ・ブルーズやソウルの世界での活動歴を持つ兄弟の下の弟、ディラード・クリュームなどをリード歌手にフィーチュアして巡業を続けた。
 
 しかし、ファーレーを含めて、古参のメンバーがだんだんに亡くなり (ちなみにファーレーは1988年にシカゴで73歳で没、彼の引退後の”オリジナル”のほうのマネージャー役はベン・オダムが引き継いだ)、いまでは、どちらも消滅してしまったようだ。 そもそも、カルテットというスタイル自体が、南部一帯に根強い支持が残っているとはいえ、いわゆるコンテンポリー・ゴスペルに押されて、大きく退潮している。
 でも、黒いゴスペルとソウルの歴史のなかで、R・H・ハリスやサム・クックたちが切り開いたソウルス・ターラーズの栄光が、色褪せることは決してないだろう。

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