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2015年02月22日20:21

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人々よ、見るがいい、これこそが、「滅ぼし得ざるもの」、である・・・京響定期

まいったなあ、また凄いもの聴かされちゃったよ。大フィルさん、どうするの?

京都 京都コンサートホール
京響 第587回定期演奏会
オッコ・カム指揮 京都市交響楽団
ピアノ独奏 ナレ・アルガマニヤン
シベリウス:交響幻想曲「ポヒョラの娘」作品49
グリーグ:ピアノ協奏曲イ短調作品16
ニールセン:交響曲第4番「不滅」作品29

僕にも、うちの母親にも、そして母親の友人にも

「倍のチケット代を出してもよかった」

と言わしめた演奏会。完売御礼の今日の聴衆は、その幸せ、深く噛みしめるがよい、でありませう。

まあ、なんて言ったらいいんでしょう。前から京響には北欧の音が良く似合うとは言い続けているところではあるのだが、その事実、今日は心の底から、腹の底から、骨の髄まで、思い知りました。正直。

最初のシベリウスから、京響サウンドの魅力全開。カムさんの指揮のおかげもあるのかもしれないけれど、札響に劣らない、クリスタルのように澄んだ良く通る音、が鳴る。その音が聴ける、ということの、なんともいえない喜び。

この時点では、札響を聴いてきたばかりのぐすたふくん、でもヴァイオリンセクションの色合いや陰影や陰り、という点で、やはり札響の方に軍配が上がるかな、などとそんなことを心に描いていたんだけど、ニールセンの最初の一音がなった瞬間、こんな不遜な考え、ぶっ飛んでしまいましたね。

とにかく、すごいものを聴いた、という思いが強い。この「不滅」と聴いてしまうと、数年前に聴いた小泉・センチュリーの「不滅」は、あれはもしかしたら編曲物だったのか、とまで思えてしまう。

とにかく、オケが「鳴る」「響く」、そして「謡う」。何を当たり前のことを、といわれるかもしれないけど、それが、「すごい」んですよ。ニールセンが書きつけたマッシブなオケサウンド、それがレベル振りきれの振幅と音圧で押し寄せる。まるで、自分の身が客席に押しつけられかのごとく。

そのサウンドが、見事なまでに「濁らない」。それぞれのパートがクリアで、くっきりとした輪郭でもって聴こえてくる。下手をすれば、音塊のなかに埋没してしまいそうな音もきちんと聴こえる(ダブルティンパニのグリッサンドがここまで見事に聴こえたのも、初めての経験)。また、フォルティッシモも、さらの上がある、という余裕をもった恰幅のいい懐の深い音で鳴る。

こんなテンションマックスの演奏が最初の一音から火蓋をきり、紆余曲折を経てやってきた第4部分、これがこんなんで最後までブラスが持つのか、というようなスローテンポで始まった時、ぐすたふくん、思わず息を飲みましたね。しかし、怒涛の音楽は一度としてそのテンションを切らすことはなく、最後の最後にオケは「まかせとけよ、まだ行けるぜ」とばかりにさらに階梯をあがる。その先に存在したのは・・・・「滅ぼし得ざるもの」そのもの。

そう、その時、その場にいた聴衆は、それを確信しただろう。「滅ぼし得ざるもの」がそこにあることを。

最高の音楽は、時に人を彼岸へと導く。カムさん、京響のみなさん、有難うございました。

追記:文章の流れで、コンチェルトについて書けなかったけど、これもとっても素敵な演奏。北欧的ダイナミズムとリリシズムの両立、という月並みな修辞で記すことを許してくださいませ。実は、アルメニア出身のこの女性ピアニスト、とても綺麗に響く粒立ちの良い音を持っているのだが、最初の内はフォルティシモを持てあましていた感あり、と聴いていました。ところが、曲が進むにしたがってヒートアップ。3楽章など、聴いてるこちらがはらはらと落涙せんばかりの清冽さで、素晴らしいの一言です。

アンコールで弾いた二曲(曲名は失念)の1曲目は彼女のリリシズムを、2曲目はダイナミズムを表現して見事でした。後ろから彼女の手元を覗き込む、コンマスの泉原くんの様子がとってもおもしろかったなあ(笑)。
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